正門のおかめ桜が満開になると、別れの季節が迫っていることを実感します。
3月16日、晃華学園高等学校の卒業証書授与式が挙行されました。
この学年は、コロナウィルス感染拡大により中学修了式ができなかった学年であったため、高校2年生全員と高校3年生の保護者がメインアリーナを埋め尽くし、卒業生を送り出せることに感慨深いものがありました。
卒業証書の授与は、生徒一人ひとりの名前を担任が読み上げ、学校長から生徒一人ひとりに手渡す形で行われます。
晃華学園は「ノーブレス オーブリージュ」を、学園の精神を表すものと考えています。高校3年生たちは、この精神を「周りの人々を笑顔にできるようになるために」と言い換えて学び、折に触れてこの言葉の意味を考えながら、6年間を過ごしてきました。
卒業生を代表した答辞では、「六年間へ胸一杯の希望をもって、『周りの人々を笑顔にできるようになるために』それぞれの物語を紡ぎ始めたのです」という言葉に続いて、中2での京都奈良学習旅行・中3でのマラウイとの共同宣言・中3文化祭の部屋など、中学時代の様々な経験とそこでの学びが、鮮やかに語られていきました。
答辞の後半ではコロナ禍についても触れられました。この学年の高校での3年間は、コロナ禍の3年間でした。繰り返される活動制限とその緩和によって、彼女たちが苦しんだことは事実です。それでも、コロナ禍での部活動や文化祭・体育祭などの行事の在り方を、責任学年として悩み考え、議論し、作り上げていったのが彼女たちでした。
答辞では、コロナ禍での彼女たちの葛藤や努力が力強く表現されました。そして、それらの経験を通じて新たな力を得て、卒業後も「自分と自分の周りの人を幸せにするために学び続けていきます」とまとめられました。
責任感を持ち、静かに、けれども粘り強く困難に立ち向かっていった彼女たちを体現するような、圧巻の答辞でした。
また、コロナウィルス感染拡大以来初めて、高校3年生と高校2年生、教職員によって聖歌・校歌を歌うことができました。友人の歌声を聞きながら、自身の声を響かせるという晃華学園の当たり前を、最後の最後で取り戻すことができました。
卒業式の後には、これまでお世話になった先生方への花束贈呈も行われました。
その後、高校3年生が学園聖堂に移り卒業感謝ミサを実施しました。朝礼・終礼で毎日、当たり前のようにお祈りを続けてきた高校3年生が、6年前に入学感謝ミサを行ったその場所で最後のひと時を迎えます。ミサを終え、聖歌隊の「シャローム」とともに、高校3年生は深々と頭を下げて聖堂を後にしました。
そして写真撮影です。「当たり前」を過ごした校舎と、卒業生を支えた保護者の皆さま、そして教職員に囲まれながら、最後の集合写真を中庭で撮ることができました。
高校3年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
最後に、中学3年間学年主任であった教員からのメッセージを紹介します。
卒業証書を受け取る凛とした皆さんの姿を間近で見て、機は熟した、今日こそ巣立ちの時だと確信しました。この学年の長所の一つは、人の話を静かにきちんと聞けることです。この先、人生の岐路に立った時には、どうぞ周りの声にも耳を傾けて自身で決断し、その選択に誇りを持って進んでください。
コロナ禍一斉休校中の中学卒業時、学年便りに添えた聖句を再び送ります。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。(ルカによる福音書11:9)」
卒業おめでとう、ご活躍をお祈りしています。