2022年度

中学2年生 静修会

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投稿日2022/11/9

中2の静修会は、山内保憲神父様(イエズス会、ロヨラハウス)に「いつも喜んでいなさい」というタイトルでお話をしていただきました。

昨年の入学感謝ミサ、今年のイースター・ミサでの司式から数えると、生徒達にとって山内神父様は三回目の出会いになります。

現在は主に高齢の神父様方の介護に携わっていらっしゃいますが、かつて学校の先生をされていた方で、ご挨拶をされた後は、関西弁モードで一気に生徒の心を鷲づかみにして、会場が大爆笑に包まれるシーンが続きました。「(山内神父様は)とても気さくでキレキレなボケやつっこみなどユーモアあふれる方だと思いました。」(生徒の感想より)

生徒達に4つの質問を投げかけ、(1,今の気分は? 2,何のために勉強するか? 3,本当の幸福とは? 4,死んだらどうなるか?)クラスごとに生徒の回答を紹介しながら、温かくユーモアあふれるコメントをたくさんしていただきました。思春期は論理的・抽象的な思考が発達する時期で、様々なことに疑問を抱いたり、悩んだりする時期であること、一方、大人は子どもの成長を目前にしながらも、昔の幼かった頃を重ねて見ているため、大人へと歩みつつある子どもと衝突することもある、というお話に大きくうなずく生徒が多かったです。モヤモヤした気分を抱く理由に納得がいったようです。

午後のお話は一転して、「生きること」の意味を問う時間となりました。聖書には、「天国」に入るために、勉強しなければいけないとは書かれていない点に触れられ、

高齢者は認知機能が衰えてくるけれども、まるで幼子のようになっていき、天国に迎えられること、死は消滅ではなく、その人の人生が完成することだという話に、生徒達は真剣に聞き入っていました。治療が困難となって修道院に戻っていらした神父様を囲んで、皆が今までのお礼を言い始めるのを見て、その神父様は「僕のお葬式をしているの?」とつぶやき、その場の人々を和ませたエピソードは、人間は死の瞬間まで「いつも喜んでいなさい」という聖書の教えを実行できるのだという証と言えるでしょう。

多くの方の最期に立ち会われた神父様の言葉は力強く生徒達に響きました。そして、やがて迎える「死」は、永遠の命につながることを感じ取ったと思います。

コロナ禍が落ち着いたら、ロヨラハウスにボランティアに行きたいね、という話も出ており、それが実現する日を切望しています。

(生徒の感想より)
「一般的には『死』はあまり良い印象を持たれておらず、私も死への恐怖を感じることが時々あったけれど、今日の神父様のお話で、死ぬことによって、その人の命や人生が完成するという考え方に、なぜか納得がいきました。自分の中では、悲しむだけではない何かを『死』に感じていたので、それが何かについて自分の理解が少し近づいたような気がしました。」

「聖書に天国について『子どものようにならなければ天の国に入ることができない』と書いてあることに驚きました。最近物事がうまく進まず落ち込むときもあったけれど、嫌なこと=大切なものを見つけるチャンスと思考を変えることで美しい生き方のヒントになると思います。」

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