中学2年生は、1月22日(土)のLHRで NPO法人ホロコースト教育資料センター(Kokoro)の石岡史子さんをお迎えし、「ハンナのかばん~悲しみを希望にかえて」というテーマでお話を伺いました。 マリアニストスクールの一員である晃華学園では、「奉仕、正義、平和をめざす教育」を大切にしており、石岡さんに毎年ご講演をいただいています。
今回のお話はまず、「このかばんと出会って私の人生は大きく変わりました」と石岡さんがおっしゃるハンナ・ブレィディのかばんと、「第二次世界大戦時にヨーロッパで 約600万人のユダヤ人が殺されました このかばんの持ち主ハンナも その一人でした」という言葉のみを前にして、「今知りたいこと」を考えることから始まりました。ハンナ・ブレイディは、アウシュビッツ強制収容所で13年の生涯を終えた少女です。
本校では、「アンネの日記」を中学2年生の課題図書として授業で扱っていることもあり、生徒たちからは次々と、さまざまな「問い」があげられました。講演はその問いの答をいっしょに探していく、という形ですすんでいきました。ハンナと当時の社会情勢を示す写真が次々と投影されます。1枚1枚の写真を丁寧に見ていくなかで、「人を個人でなく『属性』で判断する」こと、「ホロコーストは『ことば』からはじまった」こと、「当時の社会の『空気』の中で『線引き』がはじまった」こと、「何が当時の『空気』生み出していったのか」、などが語られ、石岡さんからも生徒たちに問いが投げかけられました。
「人が、1対1ならできることが、集団になるとできなくなるのはなぜだろう?」
「間違っているのに、間違っている、と人に認識できなくさせてしまうものは、何だろう?」
600万人といわれる虐殺は、ある日突然始まったわけではなかった。また、私たちと同じような人たちが、たとえば「アウシュビッツ強制収容所にユダヤ人を運ぶ列車の運転手」も、「列車の時刻表を作る人」も、そのとき一人ひとりの『役割』を果たしていた。自分の役割の「その先」のことは知っていたのか知らなかったのか、考えたくなかったのか。
アウシュビッツに残された4,000個以上のかばんの中から、石岡さんたちに託されて日本にやってきた1つのかばん、ハンナのかばん。日本の中学生たちの「このかばんの持ち主のハンナについて知りたい」という思いから、ハンナの人生を探す旅が始まり、家族でたったひとりホロコーストを生き抜いたハンナのお兄さんとの出会いがあったこと…。石岡さんのお話は次のことばで締めくくられました。
「今日考えた問いは、簡単には答えが出ないかもしれない。でもね、高校生になっても探究し続けてほしいの。考えることをやめたとき、恐ろしいことがはじまります。」
晃華学園の図書情報センターには、ホロコーストに関連する本を集めたコーナーが常設されています。アウシュビッツやテレジンの収容所や、ハンナ、アンネ、コルチャック先生、杉原千畝など人物に関するもの、そして「夜と霧」などが、中学生・高校生を問わず、年間を通してよく貸し出されるとのこと。晃華生が「奉仕、正義、平和」について考え続けている1つの証左とも言えるでしょうか。
生徒たちの振り返りから一部抜粋して紹介いたします。
・本(アンネの日記)で読むよりも、実際に写真を見ながら話を聞いたことによって、より詳しいことを知り、とても衝撃を受けました。ユダヤ人迫害を初めて行ったのはヒトラーだと思っていたけれど、2000年以上前からユダヤ人への差別があったことを知り、驚きました。ユダヤ人はお金持ち、というイメージから迫害される対象になってしまったけれど、偏見は良くないと思いました。差別は、「自分がその対象になりたくない」という思いから始まってしまうものだと思うので、過去の歴史から学び、多くの人がしっかり考え行動することで、なくなってほしいです。
・スケートをしたい、お買い物をしたい、そして学校に行きたいなど、普通の子どもが普通にしたいことがいきなりできなくなり、自由を奪われたハンナとジョージの話を聞き、とても悲しくなりました。両親と別れなければならなくなった時の気持ちを、私は想像することができませんでした。いつまで離れていなければならないのかすらわからない状況で、自分が生きていける気もしません。そんな中、2人だけで励ましあいながら支えあって生活していたことに衝撃を受けました。ハンナは亡くなってしまいましたが、ジョージは生き残り奇跡的に出会えて話を聞けたこと、家族や友人と一緒にいられていることに感謝したいと思いました。
・なぜ、「ハンナのかばん」がタイトルなのか、そのかばんをなぜハンナがずっと大切に持っていたのか、その中には何を入れていたのか、なぜ残ったのか、など沢山不思議に思った。しかし、それは「ハンナ」という一人の明るい少女が収容所に連行されたときの荷物であり、ハンナが生きていた証拠だと知り、驚いた。何か特別な理由があって残されていたわけではなく、亡くなった600万人の中の1人の遺品だった。実際に仲間外れにされている人を見ても、助けるのはとても勇気のいることだ。しかもその行動一つで自分も殺されてしまうという社会情勢であったため、尚更傍観者になるしかなかったのだと思う。加害者にも、被害者にも、そして傍観者にもなってはいけない。このことを思いだしてこれから毎日生きていこう、と思った。
・私は今までユダヤ人が差別され虐殺されたのは、アドルフヒトラーだけのせいだと思っていました。しかしそれは間違いで、「ユダヤ人が悪い、私たちは何も悪くない」と言ったヒトラーにのって右手をあげ称賛した人々、見て見ぬふりをしていた全ての人に責任があることを知りました。そして、今の世の中でも同じようなことがあると思いました。それは政治だけではありません。日常生活でも「私は関係ないから」と、他人の悪い行動から目を逸らしてしまった事は私にもありました。そういった行動は、直接かかわっていなかったとしても場を悪くし、間接的に加担してしまったのだと、反省しました。ユダヤ人虐殺と同じ結果にならないように、これから他人ごとと考えず、「自分ごと」だということを意識しながら生活していきたいです。
学園に咲く「アンネのバラ」