2020年度

第56回晃華学園高等学校卒業式

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投稿日2021/3/19

桜のつぼみがほころび始めた16日、晃華学園高等学校の卒業証書授与式が挙行されました。今年はコロナの感染対策のため、保護者の方の人数を例年よりも少なくし、席の間隔をあけて実施いたしました。

卒業式では、生徒一人ひとりの名前を担任が読み上げ、一人ずつ校長先生から卒業証書を受け取りました。今年は、聖歌や校歌を一緒に歌い上げることはできませんでしたが、オルガンによる演奏を聴きながら、卒業生たちは学校生活のことを思い出していたことでしょう。

卒業式の後は、聖堂で卒業感謝ミサに参加しました。

教室の黒板には、素敵な黒板アートが描かれていました。

高3のみなさん、卒業おめでとう!

                         学年主任より

 

学校長告辞

「三月は陰暦では『弥生』と呼んでいます。昔の人は季節に合った言葉で月の名前を付けていました。この弥生の『弥』は『いよいよ・ますます』で、『生』は『草木が生い茂る』という意味で、冬が終わって草木が芽吹き生い茂る季節を表現しているということです。新たな命が芽吹いていく弥生三月に晃華学園を巣立っていく皆さんに卒業証書を授与いたしました。ご卒業おめでとうございます。そして、保護者の皆様にも、心からお祝い申し上げます。緊急事態宣言下、生徒、ご家庭ともども健康管理に留意していただき、本日卒業式が挙行できますことは私ども関係者にとっても、大きな喜びでございます。改めて感謝申し上げたいと思います。

さて、卒業生の皆さん、2020年度は新型コロナウイルス感染症という想定外の事態が全世界で発生し、学校が休校になったり、例年行っている様々な行事が中止になったりしました。そして、今もその状態が続いています。想定外であってもその出来事は、自分の人生の現実の一つとして起きている事です。今日私は、これから皆さんが遭遇するであろう人生の様々な想定外としての現実と向き合っていくときの一つのモデルとして聖母マリアのお話しをします。校名が聖母マリアを象徴している晃華学園を巣立っていくのですから、それがふさわしいかな、と思いました。

マリアが神の子の母となることを大天使ガブリエルから告げられる『マリアのお告げ』は、現在、過去、未来を見てもマリア一人だけに起きた想定外の出来事です。つまり、この地上の歴史の中では、かつて一度も起こらず、また二度と繰り返されることもない出来事です。そのいきさつが、ルカ福音書1章26-38節に書かれています。その場面を簡単に見ていきますと、まず、いきなり大天使がマリアのところにやってきて、『あなたは身籠って男の子を生む、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる』という神の計画を告げます。それはマリアからすると全くの想定外でした。何故なら、マリアにはヨセフという婚約者がいたのですから。事実、大天使の言葉を聞いたマリアは『戸惑い』、『考え込』(ルカ1,29)みました。しかし天使は、マリアの戸惑いにはお構いなしです。マリアが、『どうして、そのようなことがあり得ましょうか。私は男の人を知りませんのに』(ルカ1,34)と、自分の疑問を正直に伝えても、天使は『神にできないことは何一つない』(同1,37)と告げます。その後、マリアがどのように納得したかについては詳しい記述はありませんが、マリアの口から『わたしは主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように』(同1.38)、という言葉が発せられます。
マリアが受諾の言葉を発するまでに長い時間をかけて熟考したことは想像に難くありません。と言うのは、その当時、ユダヤ教では、婚約者がいるのに他の人の子供を身籠るということは姦淫罪で訴えられ、石殺しの刑に処せられましたから。マリアは、天使のお告げを前にして心を開き、先祖イスラエルの歩み、例えば、奴隷状態だったエジプトからモーセに導かれて出ていく時、後ろはエジプト軍、前は海、という到底逃げられない状況の中で神が何をしてくださったか、王国が滅ぼされ、バビロニアの捕囚という民族の滅びの危機の時に神が何をしてくださったか、などの出来事を思い巡らし、天使が語った、『神にできないことは何一つない』という言葉に、そうだ、と納得して神に人生を賭けたのだと思います。この話で私たちがマリアから学べることは、マリアが受諾の言葉を発するまでに、天使の言葉に戸惑い、考え込み、自分の意見を言い、決断するというプロセスを歩んだということです。つまり、現実がこうなのだから諦めて受け入れるしかない、と直ぐに判断したり、嫌なことだから現実から逃げよう、としたりするのではなく、思い巡らして熟考し、自分の考えを発酵させていく過程を大切にする、ということです。想定外の現実の出来事に向き合い、乗り越えていくためにはこのプロセスを踏むことがでは大事ではないでしょうか。
一旦決断したら動き出すことができます。マリアは年をとって子を宿したいとこのエリザベトの出産を手伝うために、山里のユダの町に出かけていきました。
皆さんがこれからの人生の中で想定外だと思える出来事に遭遇した時、皆さんには思い巡らし熟考するときの助け、支えとなる体験がお一人お一人の中にすでに蓄えられています。晃華学園中学校高等学校での教育方針に則った6年間の教育の、各教科での学び、LHRの時間に行ったこと、学んだこと、様々な学校行事で聞いたお話や体験、先生たちやクラス、部活などでの同級生、先輩、後輩との関わりを通して皆さんが培ったものがそれです。励ましてもらったこと、夢を語り合ったこと、黙って傍らにいてもらったこと、もしかしたらけんかをし、許してもらったこともあるかもしれません。その時は分からなかったことなども、時間の経過の中で、ちょうど果物が熟していくように、実りある体験として熟していることでしょう。ですから、様々な出来事と向き合うとき、前向きに捉えていく力となっているもの、新しいものを生み出す力になっているものが自分の中に蓄えられていることを信じ、その蓄えをじっくりひも解いて、思い巡らし、乗り越えていくというプロセスを大切にしてください。
そして、もう一つ、皆さんお一人お一人が将来置かれた場で、より良い多文化共生の世界を築いていくため、そして、人の為に人と共に生きる女性として神様から託されたタレントを惜しみなく使って歩んでいってほしいと願っています。
その歩みに必要な神様の助けと恵みを祈って、私の告辞を終わります。」

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