「主の祈り」
天におられるわたしたちの父よ、 み名が聖とされますように。 み国が来ますように。 みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。 わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。 わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。 |
晃華学園では、毎日の朝礼・終礼でお祈りを捧げています。朝礼で捧げるお祈りは、「主の祈り」です。イエス様の考えや教えが、この短い祈りの中にすっかりと込められています。困難にあるとき、感謝をしたいとき、苦しみや悲しみの中にあるとき、喜びにあふれているとき、様々なときに「主の祈り」を唱えるようにイエス様は教えています。この祈りの文章は、『マタイ福音書』6:9~13、『ルカ福音書』11:2~4で紹介されています。
①天におられる私たちの父よ、み名が聖とされますように。
神様(の名前)を全ての人が賛美することをイエス様は望んでいます。
②み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
み国とは「神の国・愛の国」のことです。イエス様は、政治的な国、互いに争う国ではなく、愛に包まれたみ国が完成することを望んでいます。みこころとは、神様の心のことです。その神様が望まれるように地上の私たちが生活をしていくことが出来ますように、という意味です。The Beatlesの曲に『LET IT BE』という曲がありますが、その訳は「みこころのままに」です。この曲の歌詞を調べてみることによって、「みこころ」の意味が理解できるかも知れません。
③私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。
体の糧は「食」です。食は体を動かすパワーの源です。心の糧は「愛」です。愛は人を根源的に動かすパワーの源です。この両方が全世界の人々に行き渡りますように。
④私たちの罪をおゆるしください。私たちも人をゆるします。
神様は、悔い改めた者をゆるしてくださいます。人間は、誰でも罪を犯してしまう弱い存在です。だから、神様は犯してしまった罪を悔い改めた人をゆるしてくれるのです。ゆるされた者としての感謝の気持ちを持って、私自身も他人をゆるす心を持つことができますように。
⑤私たちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
私たちは直面する様々な悩みに負けないように、辛いとき・苦しいときに愛の父である神様に目を向けます。本当の誘惑、それは、神様から目を背け、希望を失ってしまうことにあります。
今回のブログでは、⑤について、もう少し、触れておきたいと思います。
かつて、唱えていた文語の主の祈りでは、「我らを試みに引き給はざれ、我らを悪より救い給え。」と祈っていました。試練に負けないようにお守り下さい、どうか私たちの信仰を強めて下さい、という意味です。
現在の口語の主の祈りでは、「私たちを誘惑に陥らせず、悪からお救い下さい」となっています。「試み」は「誘惑」に変わりました。(新約聖書の)福音書の原文はギリシャ語で書かれており、この箇所は「ペイラスモス」という言葉が使われています。日本語では「試み」「試練」「誘惑」と訳されます。
人は自分の欲望を通じて、試されることが多くあります。そして、時には、誘惑に陥ることがある弱い者です。しかし、人間の欲望と弱さに悪(悪霊)はつけ込んできます。誘惑は、自分から「これは誘惑だ」とは名乗りませんので、私たちは見分けることができません。これが、厄介なところです。
欲望のすべてが悪ではありません。ただし、過度になってはいけません。
毎朝、主の祈りを唱えることで、自分自身が過度に欲していることはないか、見つめ直していきましょう。