桜の季節が過ぎ、新緑が眩しい季節となりました。卒業式からちょうど一ヶ月。 卒業生の皆さんは、新しい環境での毎日に、少しずつ慣れてきた頃でしょうか。あるいは、少しだけ疲れを感じている頃かもしれませんね。

本日は、卒業式のあの日、教室で、あるいは生徒ラウンジで卒業生の皆さんに先生たちが贈ったメッセージを、2つご紹介します。今だからこそ、もう一度受け取ってほしい言葉たちです。
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ご卒業おめでとうございます。
6年間という月日は、長いようであっという間でした。けれど、今日ここにある皆さんの姿は、確かに大きく、頼もしく変わりました。
特に中学3年間は、思い描いていた学校生活とは違う日々が続きましたね。

行事も活動も制限され、「当たり前」が遠ざかる中で、皆さんはその静かな時間を誠実に受け止めてきました。外側の世界が揺れる中でも、皆さんの内側には、誰にも奪えない「強さ」が静かに育まれていました。
「それぞれに 根を張る日々の 静けさよ 違える花を 等しく愛でて」
実は私には、忘れられない過去があります。前任校でも高校3年生を受け持っていましたが、当時はコロナ禍の真っ只中。
卒業式すら自粛され、万感の想いで送り出すことすら叶いませんでした。だからこそ、今日こうして皆さんと向かい合い、晴れの日を共に迎えられた喜びはひとしおです。

高校に進んでからの3年間、皆さんは常に「自分自身との戦い」の中にいたのではないでしょうか。
「本当はどうしたいのか」「自分に何ができるのか」。思うようにいかない環境の中で、自分自身に問いかけ続けた日々は、決して楽なものではなかったはずです。けれど、その葛藤の末に見えてきた今の道こそが、皆さんだけの真実です。

私は決して、うまい話ができる教師ではありません。気の利いた言葉を贈れず、もどかしさを感じることもありました。それでも、不器用な私の姿をちゃんと見ていてくれた生徒がいたこと。言葉の裏にある想いを受け取ってくれたことが、何より嬉しく、救いでした。

皆さんは弱さと向き合い、自らの手で未来を選び取っていきました。弱さを抱えたまま、それでも前を向こうとするその姿は、私にとって何よりの誇りです。初めてこの学校で担任を持ち、皆さんや保護者の皆様から、教える立場以上に多くのことを学ばせていただきました。今の私があるのは、皆さんのおかげです。
これから皆さんが歩む道は、それぞれ違う形をしています。けれど、悩み抜いた経験は、いつか必ず誰かの支えになります。大きなことでなくて構いません。日々の小さな選択の中で、そっと誰かのために何かを差し出せる人であってください。
フランスの作家サン=テグジュペリは、こんな言葉を残しています。
“Aimer, ce n’est pas se regarder l’un l’autre, c’est regarder ensemble dans la même direction.”(愛するとは、互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見ることである。)
たとえ道が分かれても、自分に問いかけ続けて見つけたその方向を、信じて進んでください。
新しい季節が、皆さんにたくさんの祝福を運んでくれることを願っています。
自信を持って、いってらっしゃい。
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先月の卒業式では、卒業対策委員会の保護者の皆様が、担任団からの一言メッセージが入ったチョコレートを用意してくださいました。卒業式のあとに、その一言についてスピーチの時間を頂きましたので、その紹介をさせていただきます。

私は「耕す」という言葉が好きです。耕すとはどういうことでしょうか。荒れた土地でも耕すことで、土に酸素が行き渡ります。すると土壌生物が元気になり、その排泄物などにより、土の栄養状態も整っていきます。また、耕して土が柔らかくなることで、作物が根を張りやすくなります。「何もない あそこから 何かが始まって」いくためには、耕すという作業が欠かせないわけです。

さて、大学に合格することを、桜咲くと言ったり、花が咲く様子になぞらえたりすることが多いですが、私の個人的な意見として、18歳で花が咲くなんてことはないと思っています。
皆さんは、いま良い土を作り、どんな花を咲かせたいのか、その種を蒔いた段階だと思っています。これから必要なのは水やりと栄養。皆さんに必要な栄養は、窒素・リン・カリウムではなく、知識や思考、そして人と関わることで得られる刺激です。そしてあたたかな光を浴び、よい風に当たりながら、あなたらしい花を咲かせてください。

きっと花が咲き始めるのは数年後、十数年後かもしれません。その時には「こんな花が咲いたよ!」と見せに来てくれたら嬉しいです。そして話を聞かせてくださいね。
