
今年の「木枯らし1号」は11月3日に吹き、去年より4日早いそうです。例年、秋が深まり、冬支度が始まる頃に、慰霊祭を迎えます。11月はカトリックの暦で「死者の月」に当たり、この世を去られた方々を大切に思い起こす共に、静かに自分の生き方を振り返り、与えられた命の尊さを考える期間でもあります。

生徒たちは、宗教委員を中心に、しおりを作る準備やミサの奉仕を行います。今年度は高木健次神父様(高円寺教会)の司式による慰霊祭ミサに与りました。
生徒が着席して厳かな雰囲気の中、ご遺族をお迎えしてミサが始まりました。学校長からご遺族の方へ向けて、哀悼の意が述べられた後、今年一年間で故人となられた方々のお名前が読み上げられました。
高木神父様は、亡くなられた方々のお名前を心に留めて、私たちとのつながりについてお話してくださいました。人間はいつか死を迎えるが、どんな人の一生も生きるに値する尊いものであること、死を迎えた人たちにも家族や友人があり、たとえ私たちにとって顔を知らない人であってもつながっていること、亡くなられた方を思い起こす度に、その人の胸中で甦ることなどを、温かい口調でお話されました。聖歌隊の澄んだ歌声が、会場に美しく響きわたりました。

いのちについて考える機会を持つことは、生きていく上で大切な糧となります。ミサの後は、各学年に分かれて、講師の方々のお話をうかがい、振り返りとしてまとめます。
晃華学園では、行事の後に「ふりかえり」として自分の考えを言葉にします。以下で生徒のふりかえりから一部抜粋して掲載します。
☆慰霊ミサに参加することによって、大切な人を亡くして、悲しみの中にある人たちに少しでも寄り添えたらいいなと思った。聖書の中の「喜ぶ人と共に喜び、悲しむ人と共に泣きなさい」の言葉のように、亡くなってしまったことを一緒に悲しみ、祈ることが出来たのではないかと思った。
☆(「自立と愛」というテーマの講演をうかがい、)私が一番印象に残っているのは、相手の自由を尊重するというお話のときに、断る自由があるということです。イエス様が奇跡を断ったというのはもっと驚きでした。イエス様の様々なエピソードを聞き、イエス様は相手の本質を見極めようとしているのではないかと思いました。
☆ドラ・グリンバーグさんが「一人の命を救うことは、全世界を救うことに等しい」と言っていましたが、その積み重ねで平和への一歩へとつながると考えました。命を大切にして、同じことを繰り返さないためにも今日の話を忘れずにいたいです。
☆ハンナとジョージがはじめに送られたテレジン収容所でこっそり学校が開かれていたということに、本当につらい状況であるからこそ、何か明日も頑張って生きようと思わせるようなことをしようという思いが感じられ、私たちが普段当たり前のように通っている学校が、彼らにとっては生きがい出会ったことに不思議な気持ちになった。
☆私は静修会の2年用しおりの表紙を担当しました。この表紙の中心にいる女の子には、本来はこれから羽を伸ばして大きくなれたはずなのにかなわなかったという意味を込めました。羽がくずれてしまっているところに、あったはずの未来が亡くなってしまったことを表しています。これからもそんな子供達のことを忘れずに、祈っていきたいです。
☆石岡さんがハンナのかばんを受け取り、ハンナについて知りたいと思い、様々な方法で調べていくうちに、ハンナのお兄さんまでたどり着いたと知り、調べようと本気で思えば、知りたいことはちゃんと分かるんだと思ったので、本当に興味を持ったことは、自分の力でしっかり調べられるようにしていきたいと思った。