2024年度

「さようなら」― 第60回晃華学園高等学校卒業式によせて

投稿日2025/3/18

よく言われることだが日本語の「さようなら」はそもそも他の国の別れの挨拶とは違う、らしい。別れたあと、相手に神の加護があるように祈る「Good-bye」や、再会を願う「再見」のような意味をもたないと。このような別れの言葉は世界でも日本にしかないということだ。もちろん日本でも友人たちと別れるときは「またね」と言ったり、手を振るだけ、ということもある。そうそう頻繁に「さようなら」とは言わない。

「さようなら」は「さよう」=「そのよう」ならばという意味だ。つまり、「さようなら」の言葉の前まで何らかの出来事があって、そうだったならば・・・(てんてんてん)。あとは推測しろということだろうか。

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私とあなたたちは衝撃的な出逢いであった。学校の入試制度が変更され、多くの受験生が集まったその年、172名という今までに例のない数の入学者。二十年近くもこの学校にいる私でも勝手の分からぬ事ばかりの中でオリエンテーション合宿に入った。

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学校に戻ってからは、なんとなく狭く感じる教室の中で、それでもみんなは学校行事、校外活動、学年活動を通して勢いよく成長していった。ちなみに中学一年生で動物園に連れて行ったことは他に一度もない。

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でも中学一年生の終わり、突然の世界的なパンデミック。6月までの休校中、いったいどうなるのかという不安の中、日本全体も大きな音を立てて変化していった。人とは接触できない。顔の半分は覆っていなくてはいけない。ひとたび体調を崩せば、まるで邪魔者のような扱い。楽しみにしていた修学旅行も延期され、それが実現したのは予定から1年後、それも「恐る恐る」だった。毎日毎晩熱を測ったことを覚えているだろうか?あの時私はみんなの体調をもしかしたらみんな自身より把握していたかもしれない。

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中学三年生の終わり、学年を離れることになった私は、みんなにこう言った。みんなのことは私にとって「思い出」ではない、まだ側にいるのだから、と。

高校一年生こそ授業でも顔を合わせはしなかったが、高二、高三と授業を持ち、多くのみんなと話したり、笑ったりすることができた。最後に一緒に沖縄の修学旅行にも行った。

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すべてが楽しかった。ありがとう。

だけど今度こそ本当に「さようなら」だ。

これまでの出来事があった。だからここで「さようなら」である。

私はいつも今目の前にいる生徒だけが自分の生徒だと思っている。これは、今は亡き同僚の先生に言われたことだ。通りすぎた生徒のことは忘れていいのだ。いつまでも心配しなくてはいけないような生徒を育てるのではない、と。

でも今の私に心残りはない。みんなは十分に成長した。メインアリーナに響く卒業式の歌声を聞きながら私はそう思う。

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「さようなら」、君たちはもう大丈夫だ。振り向くな。新しい世界はそこにある。

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