2024年度

2024年 慰霊祭

投稿日2024/12/17

11月はカトリックの暦で「死者の月」とされ、この世を去った方々を追悼すると共に、自分の生き方を振り返り、与えられた命の尊さを考える期間でもあります。今年度は高木健次神父様(高円寺教会)の司式による慰霊祭ミサに与りました。

生徒が着席して厳かな雰囲気に包まれた中を、ご遺族が入場され、ミサが始まりました。

学校長からご遺族の方へ哀悼の意が述べられた後、今年一年間で故人となられた方々のお名前が読み上げられました。

高木神父様は、亡くなられた方と私たちとのつながりについてお話してくださいました。どんな人の一生も生きるに値する尊いものであること、死を迎えた人たちにも家族や友人や様々な人間関係があり、たとえ私たちにとって顔を知らない人であっても、目に見えないつながりを持っていること、亡くなられた方を思い起こす度に、その人の胸中で甦ることなど、心に沁みるお話でした。世界情勢に目を向ければ、多くの尊い命が失われている現実があります。遠く離れた場所で命の危機におびえながら暮らす人々にも思いをはせる必要性も感じました。

秋が深まりゆく時期に、いのちについて考える機会を与えられることは、生きていく上で大切な糧となります。ミサの後は、各学年に分かれて、講師の方々のお話をうかがい、振り返りとしてまとめます。生徒一人ひとりが自分と向き合う一日となりました。

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晃華学園では、行事の後に「ふりかえり」として自分の考えを言葉にします。以下で生徒のふりかえりから一部抜粋して掲載します。

・慰霊祭では、人はいのちの繋がりの中に生きているのだという言葉を聴き、単に「生きている」というよりは「生かされている」という感覚に近いものを感じた。そのように生かされている中で、私も他の人を思い、彼らのいのちに目を向けられる人間になりたいと思った。

・私たち生者は死者から数多のことを学び、受け取り、未来につなげることが出来るということ。残された人々は残された時間の分だけ、死者から何か未来につなぐものを得る事が出来る。私たちはその一つ一つのものを見落とさずに、確かに拾って自分なりの形で次へ託すことが大切なのではないか、とそう感じた。

・亡くなった方々への感謝と祈りを通じて、心が洗われるような深い時間を過ごすことができた。厳かな雰囲気の中、静かに捧げられる祈りや追悼の言葉が会場に響き渡り、故人への思いが一層深まると同時に、命のはかなさと尊さを改めて考えさせられた。日々の生活に追われる中で、失って初めて気づく「あたり前」の大切さを感じされる貴重なひとときだった。

 

 

 

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