中学1年生の静修会では、高木健次神父様(カトリック高円寺教会 主任司祭)をお招きし、「境界の尊重~自分と他者を愛する~」というテーマで講話をいただきました。
冒頭、生徒たちは自己紹介に加えて、「今まで言われたり、されたりして嬉しかったこと、嫌だったこと」などを用紙に記入しました。
その後の講話では、今回のテーマである「境界」というものの重要性を、生徒にとって身近な“家”を例として示しながら、高木神父様が説明してくださりました。その上で、聖書の「天地創造」「エデンの園」の内容に触れながら、「善悪の判断や、命の判断は神の領域であること」、だからこそ「善悪は人間の都合を越えたところに存在し、自分の命も他者の命も大切にしなくてはならないこと」をお話しいただきました。
同時に、「人間一人一人の自由については、神でもあっても尊重する領域」そして、自己紹介で「何を話したいのか、何を話したくないのか」は自分で決める「自由」があると強調してくれました。
一方で、こうした「神と人との境界」また、「自己と他者との境界」が混沌としている状況が、世界の現実であるとした上で、冒頭の生徒が記入した「されたりして嫌だったこと」の内容を共有して下さいました。
特に、「自己と他者との境界」から自らを守るすべとして、高木神父様が強調していたのが「自分を大切にすること」でした。そのことを、「自分の望まないコミュニケーションをとろうとする人のペースに乗る必要はない」「自分を大切にするような言葉や体験を取り入れ、自分の力を奪うようなものは取り入れないようにする」など、様々な形で、生きていくうえでのヒントを、生徒に投げかけて下さいました。
——-
晃華学園では、行事の後に「ふりかえり」として自分の考えを言葉にします。以下で生徒のふりかえりから一部抜粋して掲載します。
・まずは自分を大切にすること、それをやってみようと思いました。私は、自分が嫌いではないのですが、小さなことでも、なにかしらダメなこと、失敗をしてしまうと、そんな自分に嫌気がさし、自分のことを卑下しがちです。だから、失敗ばかりを見るのではなく、自分の成功をどうにかして見つけ、それを自分でほめてあげることが大切だと思いました。
・他人と自分が好きなものが違うように、価値観も境界線も違うから、自分中心で考えてはいけないし、自分が当たり前と思ってもいけないし、他人は自分から見た景色とは全く違う景色を見ていると思わなければいけない。そのためにも、普段から境界線の区別はよりいっそう意識して、お互いが気を付けながら生活をしていこうと思った。
・普段先生方がおっしゃっている「親しき仲にも礼儀あり」ということだなと思いました。今までも先生方の言葉に納得していたものの、エデンの園の話を聞き、神と人のような関係性で、普段お互いの領域に入らず、困った時だけ優しくアドバイスする仲は、長く続くと思い、先生方の言葉にとても納得し、感謝したいと思った。