2024年度

高校3年生 静修会

投稿日2024/11/22

高3静修会は、竹内修一神父様(上智大学・イエズス会)から「いのちと平和」というテーマでお話を伺いました。生徒たちにとって晃華学園での最後の静修会は、「いのち」(作詞・作曲/古木涼子)を聴くことから始まりました。聖歌隊のレパートリーにも入っているなじみのある曲で、優しい調べに癒やされます。生徒たちにとっては、慌ただしい日常から距離を置いて、穏やかな気持ちで自分を見つめる時間となりました。

神父様は、「尊厳」を分かりやすく言い換えると?、「しあわせ」を漢字で書くとどんな字ですか?など、生徒たちに語りかけながら、キリスト教の真髄を分かりやすい言葉で説明してくださいました。生物学や心理学などにも触れながら、アカデミックな内容がいのちの大切さへとつながっていき、これから大学入試を控える生徒たちにとって、その先にある豊かな学びへと誘う、得がたい学びの機会となりました。晃華学園でまなんだキリスト教精神が、

卒業後も生徒たちの支えとなることを切に願ってやみません。

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晃華学園では、行事の後に「ふりかえり」として自分の考えを言葉にします。以下で生徒のふりかえりから一部抜粋して掲載します。

・いのちの尊厳に関する話が一番印象に残っている。人の遺伝子はコピーできても存在はコピーできないという話や、2人の人間が出会う確率は限りなく0に近いという話を聞き、改めて自分が今ここに存在していることの尊さを感じた。そのように奇跡に近い確率で周りの人と関わり合って生きている私たちなら、人間誰しもが持っている弱さや欠点を補い合って生きていくこともできるはずだと思う。

・自己卑下と謙遜を一緒にしてはならないというお話があった。謙遜しているつもりが卑下に繋がって自分の人生から光が消えてしまうことがないように、自分との向き合い方について深く考えていくことが大事だと思った。教育を受ければ受ける程、質問や挙手に抵抗を覚える感覚は身近ですが、これは個人の自己肯定感の低下にも繋がるため、しっかり区別して認識することが重要だと思った。

・尊厳をわかりやすく平仮名で表すと、「ありがたさ」と「かけがえのなさ」と言い換えることができる。しあわせには、「幸せ」と「仕合わせ」がある。後者は、お互いに助け合うことでしあわせに導いてくれる、と捉えることができる。まず中心にコンパスの針をさしてから円を描くように、平和の原点を中心として人々の人生が描かれていく。

・私は小学生の頃に所属していた聖歌隊で、今日紹介された「いのち」を歌ったことがあった。当時は「いのち」に関する一つの歌と捉えていたが、今日の静修会で様々な意味が込められていると感じることができた。尊く、たったひとつであり、きれいで愛しいなど一言で「いのち」と言っても深い意味があると感じた。また、最後に生きてほしいという強い思いを込めて、いのちの大切さを伝えているのではないかと思った。

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