5月15日に中学合同朝礼が行われました。
校長先生からは以下のお話がありました。
「おはようございます。
昨日は母の日でしたね。皆さんはお母さんに何かプレゼントとかカードをあげるなどして感謝の気持ちを表しましたか。修道院では、若いシスターが、おいしいご馳走を作ってくれました。
5月はこのように母の日があり、そして、カトリック教会では5月をイエスの母マリアにささげられた月、聖母月と呼び、マリア様を称えています。その意味で、5月は朝礼の聖歌にマリア様の歌が選ばれています。
さて、皆さんの中には、お母さん、と言われて複雑な思いを抱いた人が何人?何十人?もいるのではないでしょうか。それは当然な反応で、思春期に入っているからです。
思春期って、親を越えていくためにもがく時期です。小学生までは親はこの世の中で一番偉い、と思っているので、親がああしなさい、こうしなさい、と言うことに素直に従っていました。しかし、ある時から、何でうちの親はこんなに口うるさいのだろう、と、親から指図されることに抵抗を感じるようになります。私はもう親の言いなりにはならない、私は私なのだ、と自分を主張するようになります。親からの自立が始まったのです。そして、親の欠点も見えるようになり、親を軽蔑するようにもなります。私にあんなことを言ってるけど、自分だって出来てないじゃない、なによ、サイテー、という風に。親にしてみれば、何でこの子はこんなに反抗するのだろう、今までずっと素直だったのに、という思いを持つので、両者のギャップが大きくなり、思春期を迎えた当の本人にとっても家族にとっても精神的に嵐がやってきたような時期になるのです。子どもでもない、大人でもないという中途半端さで情緒的に不安定になり、特に同姓であるお母さんに対する反抗が強くなります。と同時に甘えてみたりするので、お母さんとしては自分の子をどう扱ってよいかわからなくなるのです。ただ、情緒的に不安定だからと言って、怒りや機嫌の悪さをぶつけっぱなしにしてよいか、と言えばそうではなく、気持ちが落ち着いた時は、お母さんにひどいことを言ったな、と自分を振り返り、謝ることが大切になります。そうすることによって自分の感情をうまくコントロールできるようになり、思春期を卒業していきます。そのあとは、お母さんとまた良い関係が結べるようになります。
おもしろいことに、母親に反抗する代わりに担任に反抗する生徒もいます。高校生になったある生徒が、ある日、笑顔で私に近寄ってきました。そして、どうして中学時代シスターにあんなに反抗したのかわからない、と言いました。その生徒は、中2の時、机の上に本をたくさん積み上げ、私から顔が見えないようにしていましたし、いつも不機嫌な態度をとっていました。きっと彼女のお母さんと私は似ているところがあったのでしょう。何故かわからないけれど嫌だ、というのが思春期というものです。私はどうしたかと言うと、あ、思春期が始まったのだな、と思い、ほっときました。宗教の授業でも、何人かの生徒にひどい顔をされましたが、その生徒たちも高校生になるとにこにこ笑顔で近寄ってきました。
また、ある時、生徒の保護者が私に、“娘が宗教の授業で思春期の話を先生から聞いて何故自分が親の私にひどい態度をとっているかその理由が分かり、親子の関係が良くなりました”、と言ってくださいました。
母の日に因んで、お母さんと娘の葛藤について話したくなりお話しました。これで話を終わります。」