2022年度

宗教朝礼より

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投稿日2022/11/25

今日のお話を始める前に、私が大切にしている聖書の言葉を2つ紹介します。

「互いに愛し合いなさい。」
「受けるよりは与える方が幸いである。」

「愛する」というは、「大切にする」ということ。そして「与える」とは、この「大切にする」という思いを、行動に移すことだと考えています。少し具体的に言うと、家族や友だちが喜ぶことをする、苦しんでいるときに寄り添う、といったことです。

「愛すること」と「与えること」の大切さを、私はたくさんの人から教わってきました。その中の二人、私にとってヒーローと言って良い二人についてお話しさせてください。

一人目は私のいとこ「ジャン」です。私は日本とフィリピンのハーフなので、外国の人のいとこがたくさんいるのですが、ジャンもその一人です。彼は私より3歳年上で、子どものときから、とにかく笑わせたり、場を盛り上げたりするのが好きな人でした。私は幼い頃泣き虫で有名で、ゲームに負けると泣く、嫌いな食べ物が出ると泣く、言葉が通じないと泣く、そんな子どもだったのですが、私が泣いていると、毎回おどけながら笑わせに来てくれたのがジャンでした。中学生のとき、十分に英語が話せないため、いとこの輪の中に入れず、つまらなそうにしていた私のところにきて、あの手この手で笑わせようとしてくれました。大学生となり、ジャンに聞いてみたことがあります。「ジャンは昔から笑わせたりサプライズをしたりするのが好きだよね。」彼はこう言いました「みんなが笑っている場所が好きなんだ。」みんなを笑顔にできるジャンは、私にとって憧れの存在でした。

二人目のヒーローは私の祖父です。幼い頃の私は、フィリピンに帰省するといつも祖父と一緒にいました。祖父が運転する車に乗るときは必ず助手席に座り、スーパー・銀行・薬局などどこにでもついて行きました(ついて行かないと泣くので)。それ以外でも、言葉がわからない私が、泣かないように、楽しめるように、ゲームセンターやテーマパークなどに何度も連れて行ってくれました。そんな祖父からよく言われた言葉が「”tough guy(強い人)”は泣かないぞ。」「家族・友だちを愛しなさい。」でした。優しくて強い祖父のようになりたいとよく思ったものです。

その二人がこの世を去ったのは、3年前です。ジャンは2019年の3月、交通事故で亡くなりました。その2か月後、祖父が倒れ病院に運ばれ、数日後に亡くなりました。どちらも突然のことで、状況を受け入れられなかったのを覚えています。しばらくして「もうジャンに笑わせてもらうことはないんだ。」「祖父と一緒に出掛けることはできないんだ。」ということを理解しました。そして、「楽しい時間、優しさ、そして愛。これほどたくさんのものをもらっているのに、最後に『ありがとう』も言えなかった。もらってばかりで、結局何も返すことができなかった。」と後悔と自分への憤りでいっぱいになりました。

このことを、あるとき神父様に話したことがあります。神父様は、「たくさんの愛をもらったのですね。では、2人から受けてきたように、次はあなたが大切な人に、与える番ですね。」そうおっしゃいました。そのときから、私は考え方を変えるように意識しました。ジャンや祖父に直接返すことはできないけど、今近くにいる「大切な人」には何か与えることはできると。そしてきっと二人は笑いながら、「そうだぞ。だから泣くな。」そう言っているような気がしました。

3年という年月が経ち、今は私が受けてきたように、あるいはそれ以上に、大切な人が楽しく過ごせるよう、幸せになれるよう、自分ができることをしていきたい、していこう、そう強く思っています。これが、私がするべきこと、「愛する」、つまり「大切にする」ということだと信じているからです。

晃華生の皆さんは、この「大切にする」気持ちを持ち、実践できている、そう感じています。授業や休み時間、HRで皆さんの様子を見ていたり、皆さんと話をしたりしていると、「友だちや家族を尊敬し、大切にしているのだな。」と嬉しく思うことがたくさんあります。そんな「思いやり」の心を持った皆さんが、楽しく過ごせるように、「幸せ」でいられるように、私自身何ができるかな、と考えながら過ごしています。皆さんも、今隣に座っている友だち、同じ教室にいる友だちが「幸せ」になれるよう、これからもお互いを「大切に」してほしいと願っています。

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