ウクライナに生まれ、ベラルーシに学び、ロシア語で小説を書く作家、アレクシェービッチの『戦争は女の顔をしていない』という作品は、ロシアの18歳の少女が狙撃兵として訓練を受け、前線でドイツ兵に銃を向ける証言から始まります。女性たちの戦争体験を聞き取ってまとめられたこの作品を、昨年授業で紹介したときは、女性の視点で語られた戦争、過去に起きた負の歴史として理解していました。ところが、ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから、祖国を守るために銃を持って戦いに挑もうとする少女の姿を見て、今まさに、おそろしい悲劇が繰り返されていることに大きな衝撃を受けました。
3月1日にロシア軍のミサイル攻撃で、キ-ウのテレビ塔から噴煙が上がった時、その近くのホロコースト追悼施設も被害を受けました。この場所はかつてナチスドイツがユダヤ人を連行して銃殺した「バビ・ヤール」という渓谷です。ゼレンスキー大統領は、「ホロコーストの犠牲者を2度殺した」と激しくロシアを非難しました。ロシアの作曲家ショスタコーヴィッチの交響曲第13番は、この大虐殺を題材とし、「バビ・ヤール」と呼ばれることでも知られています。ウクライナを攻撃したロシアはもちろん許されるべきではありませんが、一方でその制裁として、豊かな文化を育んできたロシアの芸術までもが敬遠される動向には、深い悲しみを覚えます。
ありえない、信じられない出来事が次々と起こる現実、統制によって食い違う報道、過去の反省がまったく生かされずに長期化していく戦争を、どのように理解すれば良いのでしょうか。皆さんも様々なメディアから情報を得て、自分とは関係のない遠い国の出来事というだけでは済まされない、と考える人が多いのではないでしょうか。私が強く心を揺さぶられたエピソードをご紹介します。
3月14日に見た動画は、とても痛ましい光景が映し出されていました。ウクライナで爆撃を受けて、家具が破壊され、ガラスの破片が床にばらまかれた部屋で、かろうじて白いグランドピアノだけ残され、持ち主と思われる女性は、思い詰めた表情でショパンの一節を弾き始めました。おそらく数分後にはこの場から立ち去ることになる彼女は、どんな思いでこのピアノに触れただろう・・・と考えたときに、私の脳裏に浮かんだのは、映画「戦場のピアニスト」のラスト・シーンでした。
ドイツ軍との戦い、ワルシャワ蜂起を命からがら生き延び、隠れ家に潜伏していたユダヤ人ピアニストのシュピルマンは、とうとうドイツ人将校に見つかってしまいます。もう助からないと観念するシュピルマンに、ドイツ将校は「ピアニストなら弾いてほしい」と促します。そこで、シュピルマンがショパンのノクターンを演奏する感動的な場面です。ドイツ将校はシュピルマンを殺すどころか、こっそり食糧を調達して、彼を助けたのです。これによってシュピルマンは戦後も生きながらえることができ、映画によって、彼の生涯も広く知られるようになりました。この映画を初めて見たとき、うかつにも助けたドイツ将校がどんな人だったかには思い至りませんでした。ところが、最近の研究によって、シュピルマンを救出したドイツ将校――ホーゼンフェルトの生涯が明らかになってきました。
愛国心が強く、ワンダーフォーゲルを愛する青年だったホーゼンフェルトは、ヒトラーに共鳴し、ナチス党員となります。しかし、ドイツ将校としてワルシャワに派遣された彼は、ポーランド人、そしてユダヤ人に対するドイツ兵の残虐極まりない振る舞いに対して疑問を抱きはじめ、軍の掟を犯してひそかに救済行動へと踏み切るのです。彼に助けられたポーランド人、ユダヤ人は60人以上に達すると言われています。ところが、ドイツ軍が敗北すると、ホーゼンフェルトはソ連の捕虜となり、戦犯として懲役刑を宣告され、獄中で亡くなりました。遺族やシュピルマンのように命を救われた人々は、彼の死後、名誉回復を申請しましたが、イスラエルのユダヤ人追悼記念館は、彼がドイツ軍の要職にあり、有罪判決を受けた人物という理由で却下しました。それでも彼の人道的行為が様々な証言を経て明らかになる中で、再評価が進み、2008年にようやく「諸国民の中の正義の人」に名を連ねることになりました。これは、命をかけてユダヤ人を助けた人物に与えられる栄誉で、日本人では杉原千畝などが含まれます。彼の取った行動は「救済による抵抗運動」として評価されたのです。
ホーゼンフェルトを支えたものは何だったのでしょうか。敬虔なカトリックの信仰、教師として若者を育てる責任感に加えて、迷い、悩み、絶望しながらも、内なる良心に従う勇気が彼の原動力だったのではないかと思います。家族と交わしたおびただしい手紙には、その痕跡がありありと残されています。
敵か味方かで判断したり、暴力的な支配や報復からは、和解や平和は得られないと思うのです。
最後に、アレクチェーヴィッチの作品に影響を受け、本屋大賞を受賞した『同士少女よ、敵を撃て』の作者、逢坂冬馬さんが受賞スピーチで述べた言葉を紹介します。
「私の描いた主人公がこのロシアを見たならば、悲しみはしてもおそらく絶望はしないのだと思います。彼女はただ一人、あるいは傍らにいる誰かと町に出て、自分が必要とされていると思ったことをするのだと思います。なので私も、絶望することはやめます。戦争に反対し、平和構築のための努力をします。それは小説を書く上でも、それ以外の場面でも、変わりはありません」