2021年度

2学期終業式

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投稿日2021/12/20

12月20日に2学期終業式が行われました。
校長先生から以下のお話がありました。

「おはようございます。いよいよ、二学期最終日となりました。この二学期、皆さんはどのように過ごしたでしょうか。何かの課題に取り組んで発見したことがある、少しは成長した、頑張ったけれど思うようには成績が伸びなかった、自分にとっては少し難しかったけれど挑戦したものがある、等々、皆さん一人ひとりにとって、それぞれの物語があったことでしょう。

私は先月、何度も読み返しまうほどに心に残る記事に出会いました。タイトルは『天使に遇いましたか』です。遇いましたか、の遇い、は遭遇する、の遇です。その記事に出てくるJさんは、いつ、どんな天使に遭遇したのでしょうか。彼は、小児麻痺の後遺症で、背が低く、歩くのにも少し不自由でした。お父さんがホテルのシェフをしていたので自分も料理人を志しましたが、何かと上手くいかず、修行と称してあちこちを転々と渡り歩く生活を10年ほどしました。後で考えれば、何かを捜しまわっていたのだとJさんは思います。その後、地元の雲仙に戻り、老舗ホテルの厨房に勤めましたが、仕事の要領が悪いことと、お客さんの残したお酒を飲む、と言う理由で解雇されてしまいました。障害をもつJさんに新たな就職口は見つからず、また、地方を転々とする生活が始まりました。7か月ほど放浪し、長崎の五島列島に渡ります。そして、福江島にある大瀬崎灯台を死に場所と決めて、うつろな思いで灯台へと向かいます。その途中で、上から降りてきた老婆と出会います。その老婆は、Jさんを見て、自分がかけていた聖母マリアのおメダイをJさんの首に掛けながら、『あんたのために祈っとりますけん』と言い、下っていきました。灯台の崖っぷちに立ったJさんは、死ぬことをなぜかためらい、福江港に戻りました。そして、奈留島に渡り、山道を歩いていると、ライトバンとすれ違い、そのライトバンの運転をしていた人から声をかけられ、その人の家に泊まることになりました。ライトバンの運転手さんは花屋を営んでいる方で、葬儀が無くなったため不要になった花を捨てに行った帰りでした。Jさんが何も当てがないことを知ると、自分の弟が雲仙で神父をしているからそこに行くように勧めます。そして、Jさんは島原教会を訪問するのです。Jさんは神父様と会うと開口一番に『天使のおるとですね』と言いました。神父様が『遇いましたか』と聞くと、何人もの天使に遇った、それで自分はここに来たのだと答えます。放浪の旅でしばしば邪魔者扱いにされてきたJさんは、五島で自分を一人の人間として迎え入れてくれた人たちに出会い、貧しい人の中に神様がいることを知ります。Jさんが五島で出会った老婆や花屋夫婦こそ、神から遣わされた天使だとJさんは言います。Jさんは天使たちとたまたま出会い(神様は意図して彼らをJさんに遣わされた)、命へと心の向きを変え、カトリックの洗礼を受け、1年も経たないうちに、亡くなります。全身癌に侵されていました。Jさんは、背伸びをして生きなくてもいい、今の自分のままでいい、という安心感と憩いの中で人生を終えました。Jさんが捜していたものは安らぎだったのでしょうか。人と対等に張り合い、一人前のふりをしても、決してそんな自分ではないことを認めざるを得ない屈折した自分に嫌気がさし、人生を諦めようとしたとき、Jさんの前に立ちあらわれた天使たち。その天使たちによって新たな人生が始まりました。神様は、弱く貧しく小さな人々に目を留められます。

私は、人は関わりの中で生きていく存在として神様から造られた、といつも思っています。自分が意識する、しないに関わらず、他者とのつながり、関わりの中で互いに助け合いながら、人生を送っていくものだと思っています。どんなに優れた才能を持っていても、他者を無視して独りよがりの道を行くのなら、それは本来の生き方から外れていると思います。本校がこうあってほしいと望む生徒像に、“人のために人と共に生きる『光り輝く華』”があります。それは、まさに、人は他者のために存在しているのだという存在意義を表現している言葉だと思っています。

この二学期、皆さんは、天使に遇いましたか。知らない間に自分をそっと助けてくれた人がいませんでしたか。心が沈んでいるときに笑顔で励ましてくれた人がいませんでしたか。いつも自分のかたわらにそっといてくれる人がいませんでしたか。人は天使になったり、天使から助けられたりするものです。少し、振り返ってみるといいでしょう。」

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