2020年度

校長からのメッセージ(中高合同朝礼)

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投稿日2021/3/12

先月の中高合同放送朝礼で、校長先生から以下のお話がありました。

「毎朝、6時前に雨戸を開けて窓を開け放し、祈りのために聖堂に行きます。2月の初め頃までは外は真っ暗でした。少しずつ少しずつ、暗さが薄れていき、今は暗さの陰のない青みが空に広がっています。私の部屋の窓のすぐ外にある梅の木は、硬いつぼみが綻び始め、何輪か咲き、また何輪か咲きし、今は一気に満開を迎えています。自然界を見ていると、否応なく時の流れを感じさせられます。

生きとし生けるものは、生れ落ちる前は誕生に向かい、生れ落ちると直ぐに人生の最後に向かって時と共に歩んでいきます。

何かの雑誌で、『人は誰でも、自分の一生という立派な文学を書いています。』という言葉を目にしました。『マッチ売りの少女』や『みにくいアヒルの子』で有名なアンデルセンは『人生は一番美しい童話である』という言葉を残しています。もちろん、現実の人生は美しい事ばかりではありません。苦悩や悲しみや心が折れそうになることもあります。アンデルセン自身がそれらを体験していますが、誰の人生にも晴れの日、雨の日、山あり、谷あり、があるからこそ、美しい童話になるのだと言っているのだと思います。又、人生は織物を織りあげることにも例えられます。

『プリデイン物語』というファンタジーがあります。主人公・タランは魔法使いの家で豚飼育補佐をしている少年で、彼が冒険を通して、成長していく過程が描かれています。タランが、自分とはいったい何者なのだ、という自分探しの旅に出かけた時、三人の魔女の小屋に立ち寄り、織りかけの布を見ます。織物はまだ出来上がりには程遠いようでした。数年後、成長したタランのもとに魔女のオルデュが織物を届けに来ます。それは魔女の小屋に立ち寄った時に見た織物です。その場面を要約するとこういうことです。

“その織物には男や女、戦士たちや戦い、鳥や獣たちの姿がびっしりと描き出されていました。驚きの念に打たれたタランは『これは私の今までのことだ。』と小声で言います。オルデュが『織ったのはこの私だが、模様はあんたが選んだもの。今までずっとそうだった。』というと、『私が選んだもの?』と疑問を口にします。世の中は人の運命を司る三人の魔女の意のままに動くと考えていたけれど、自分が体験したことが織られた織物を見て、そうでないことをタランは理解します。そして、『この模様は確かに私が選んだものです。』と、オルデュに言います。オルデュは、垂れ下がっている糸を見つめるタランに、『あんたはこれからも模様を選んでいかなくちゃならないのさ。織るべき糸が残っている限り。』と告げます。”

自分の人生という織物で、時間が縦糸としたら横糸は一人一人が選択して描く模様でしょうか。私たちは、運命に流されて生きているのではなく、毎瞬毎瞬右に行くか左に行くか、これをするかあれするか、を選んでいるのです。そうやって、自分の人生という織物の模様が織りなされていくのだということがこの物語からわかります。ただ、自分が選択するので、自分の思い通りに人生が進んで行くかというとそうではないところに人生の不思議さがあります。

終わりに、人生の模様を彩るために参考となる言葉をいくつか紹介します。

『人生には二通りの生き方しかない。一つは、奇跡など何も起こらないと思って生きること。もう一つは、あらゆるものが奇跡だと思って生きること』
(アルベルト・アインシュタイン 物理学者)

『人間にとって最大の発見、最大の驚きは”自分には無理だと思っていたものが、実はできる”と気づくことだ』
(ヘンリー・フォード 実業家)

『人生とは嵐が過ぎ去るのを待つことではない。雨の中で、どんなふうにダンスをするかを学ぶことだ』
(ヴィヴィアン・グリーン 歌手)

雨が降ったら、いやだなー雨って。早くやまないかなー、って思いますよね。しかし、どうせ濡れるなら、雨の日を楽しみましょう。主体的に楽しいことを探しましょう、と、ヴィヴィアン・グリーンさんは言っています。皆さん、そうしましょう。」

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