12月19日に2学期の終業式が行われました。
校長先生から以下のお話がありました。
「皆さん、おはようございます。8月24日から始まった二学期の学校生活が今日で終わります。感染者が増大していく新型コロナ禍にあって、教職員、生徒の皆さんの努力と協力によって、無事に終業式を迎えられることをうれしく思います。
二学期は、活動時間が短いとは言え、部活、同好会、課外が開始され、10月29日にはあの雲一つない秋晴れの下、アミノバイタルフィールドで体育祭も行われ、それなりに充実した二学期ではなかったでしょうか。
さて、最近、私は、調べ物をするために学校の創立50周年記念誌を丹念に読み、そのおかげで、調べものとは別の発見があり、感慨深く思っているところです。
生徒玄関を入ると、大理石のご像が真正面に見えますね。あのご像は「みこころのキリスト像」と言って、本校の第1期生の卒業記念品です。1968年に除幕式が行われました。そのことを知った時、私は、あのご像が、この晃華学園中学校高等学校の歴史が連綿と続いていることを表す貴重な証なのだと、感動しました。私は古い校舎の時に非常勤として6年間晃華で勤務し、それから空白があり、この新校舎が建てられる1年前に専任としてまた勤務することになりました。ですから、私の中では晃華学園中学校高等学校の歴史は途切れたものでありました。皆さんも自分が入学した年から晃華での歴史が始まり、卒業で終わると、考えているのではないでしょうか。個人の歴史ですからそれが当然でしょう。ただ、個々人の歴史は、連綿と続く晃華の歴史の中に抱かれた歴史である、ということを知ってもらいたいと思います。そして、皆さんが卒業していくと、皆さん個々人の歴史は連綿と続いている晃華学園中学校高等学校の歴史の中に組み込まれ、晃華の歴史を作り続けて行くものになるということも。連綿と続く、という言葉を使いましたが、それをイメージで例えるならば、大河の水が滔々と力強く、そしてゆったりと流れていく様です。私が抱いているイメージとしては、スメタナの交響詩「わが祖国」の中の、モルダウ川の流れを描写した第2曲目「モルダウ(「ヴルタヴァ」という名でも知られている)」の主旋律が浮かんできます。晃華の歴史は、校舎があるから歴史が続くのではなく、歴史の担い手がいるから続くのです。それが皆さん一人ひとりです。その自覚を持ってこれからの学校生活を送ってもらえれば、と思っています。
最後に、二学期は部活が始まり体育祭があったけれど、やはり例年と違って、新型コロナウイルスの感染拡大を考慮して、学校、学年で計画された楽しい行事がいろいろ中止になりました。それで、それなりに充実した二学期、と最初に言いましたが、もっと楽しみたかった、と思っていることでしょう。けれども、人には想定しなかったことが降りかかってきても、その禍の中ですらも何らかの楽しみや喜び、価値あるものを見つけることができる能力が与えられています。極限状態のアウシュビッツで夕日の美しさに感嘆したユダヤ人もいます。すでにお話したことですが、コロナ感染者に寄り添う医療従事者に拍手を送ったり、一人で暮らす高齢者を励ますために楽器を奏でたり、歌を歌ったり、又、日本では、心労をねぎらうために、手製のアロマオイルを1000人以上の医療従事者に届けた看護師さんたちもいます。明日からの冬休み、年末年始の行動自粛が要請される中で、自分のため、そしてお家の人たちのために、例えば、どんなことからでも喜ぶことを捜し出した少女パレアナ(新しい訳だとポリアンナ)とか、すべての存在を愛おしむ、いいこと探しの達人の まど・みちおさん(「ぞうさん」、の童謡を書いた人)のように、喜ぶこと、いいことを身近な生活の中で探し、分かち合い、充実した、楽しい冬休みを過ごしてほしいと思います。
来年が皆さんにとって素晴らしい年になることを願いお話を終ります。」