2020年度

2学期始業式

投稿日2020/8/31

8月24日に2学期の始業式が行われました。
校長先生から以下のお話がありました。

「二週間とちょっとの夏休みが終わり、二学期が始まりました。皆さんにとって、この夏休みはあっという間に過ぎたでしょうか、それとも、長く感じられた!でしょうか。

NHKが出版している様々なテキストの中に、『100分de名著』というEテレの講話を冊子にしたものがあります。この夏、ミヒャエル・エンデの『モモ』のテキストが書店に並んでいたのを目にし、早速買って読みました。『モモ』には時間を奪う灰色の男たちが登場します。彼らは、時間を倹約し、浮いた時間を貯蓄するように勧める時間貯蓄銀行の外交員です。聞こえはいいのですが、要は時間泥棒です。

さて、果たして、時間を倹約して人が幸せになるでしょうか。フージーさんの例を出してみましょう。フージーさんは床屋さんで、お客さんが来るのを待っていた時にこんなことを考え始めます。『おれの人生はこうして過ぎていくのか。はさみと、おしゃべりと、せっけんの泡の人生だ。俺は一体生きていて何になった?死んでしまえば、まるで俺なんぞもともといなかったみたいに、人に忘れられてしまうんだ。』と。そこに灰色の男が登場し、フージーさんがどれだけたくさんの時間を持っていて、そのうちどれほど多く無駄なことに費やしているのかを次々に計算し、フージーさんのこれからの人生に残された時間はゼロであることを示します。それに驚愕したフージーさんは、時間を倹約すると宣言します。それは、お客さんとのおしゃべりをやめて手際よく仕事をし、お母さんを施設に入れ、寝る前に窓のところに座って一日の事を考えるのをやめることでした。こうして、時間を倹約するようになったフージーさんがどうなったかと言えば、だんだんと怒りっぽい、落ち着きのない人になっていきました。普通、時間を倹約すれば余裕が生まれると思うのですが、その反対で、かえって人々は時間に追われて、ますます忙しくなっていきます。時間を無駄にしないために、暇な時間をなくしてしまうからです。その結果、心に余裕がなくなり、人間が本来持っている豊かさが失われていくのです。フージーさんの例で分かると思いますが、灰色の男は、自分の心の隙間に現れます。

私は、ある年、個人指導による8日間の大黙想に参加しました。指導者のところに行き祈りのテーマをいただき、それを祈り、どんな風に祈ったのかを面接の中で指導者に報告し、又新たなテーマをいただいて祈る、というやり方の黙想でした。ある日の面接のとき、指導者から、『西山さん、時間を無駄にすることを恐れてはいけないよ』と言われました。そう言われた時はショックでした。時間を無駄にするなんて、と。私も時間泥棒に知らずに加担していたのです

私たちは一見無駄だと思える時間の中で何か大切なものを育んでいきます。それは、後から、あの時は無駄だと思っていたのに、あの無駄な時間があったから今がある、とわかることが多いのです。私は修道者ですから、祈りの時間を持ちます。灰色の男たちから見れば、無為の時間に見えるでしょうが、私たち修道者が神との関わりを深めるのは祈りの中なのです。自動車の車軸と車受けの間に適当な余裕があるのをカタカナで『アソビ』と言うそうですが、それがあるから車が円滑に動くのだそうです。それと同じで、無駄かなと思える時間が日々の暮らしや人生の潤滑油となって、うまく回る助けとなっています。因みに、何もしない時間は心のエネルギーを満タンにするときであると何かの本で目にしました。何か焦っている、心にゆとりがない、と感じるとき、自分の時間を取り戻すために、ゆっくりと散歩をしてみるのもいいかも知れません。あるいは、今やっていることを丁寧に時間をかけてやるのも良いかもしれません。人を笑わせることを言ってみるのもいいでしょうね。

最後に、皆さんにとって、今日から始まる二学期が、体と心の成長をもたらす良い時間となりますように願って話を終わります。」

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