2024年度

先生のお話し(2025年1月18日の宗教朝礼)

投稿日2025/2/17

晃華学園では毎週土曜日、全校生徒にむけて教員が自分の考えを放送で語ります。
生徒にとっては、カトリックの価値観はもちろん、教員個人の多様な価値観に触れ、自らの価値観について考える機会となっています。

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「喧嘩するほど仲がいい」という言葉がありますが、皆さんにはそう言えるような友達はいるでしょうか?

私には中学時代に出会った忘れられない友達がいます。その友達はTと言いますが、中学1年生の頃に同じクラスになり、仲がとても良くなり、いつも一緒にいました。しかし中学2年生になると、毎日のように喧嘩、衝突するようになり、中学3年生まで続きました。元々その子はかなり気が強い性格で、言葉もきつい人でした。日常の些細なことですれ違いが起き、激しい口論が頻発しました。時には口論が発展し、お互いに叩き合ったり、Tちゃんから数日跡が残るほど強く腕をつねられたり、私はチョークをTちゃんに向けて投げつけてしまったり、家に帰ってからもメールで喧嘩の続きをするなど、行き過ぎたことをたくさんやり合いました。人格を傷つけるようなこともたくさん言い合いました。

そんな戦争のような荒れた毎日が、中学を卒業するまでの2年間続きました。しかし高校に入った頃、Tちゃんが突然私に「今までごめん」と謝ってきてくれました。その時に、お互いに今までしてきたことを言葉にして反省し、悔い改めました。それ以来喧嘩は一つもせず、一番よく理解し合える友達になりました。Tちゃんは社会人になった今でも連絡を取り合い、定期的に会ってくれる、私の数少ない大切な親友の一人です。

人と衝突し合うことは決して悪いことではありません。本音でぶつかり合いそうになった時は、ぶつかってもいいと私は思います。しかし、喧嘩にも、いい喧嘩と悪い喧嘩があります。私とTちゃんの場合は、正直いい喧嘩だったとは思いません。身体や人格を傷つける言動をたくさんしてしまったからです。しかしその後、言葉で悔い改め、心から互いに反省し、互いを許し合うことを経た結果、Tちゃんは今でも親友として私のそばにいてくれています。結果的にはいい喧嘩になったのかもしれません。悪い喧嘩は、互いに己を顧みることなく、互いを憎み合ったまま、関係性が終わってしまうような喧嘩です。そういう喧嘩は相手はもちろん、自分の心や人生をも壊します。もし、相手を傷つけてしまったと思ったら、素直に反省し謝ることができる人になってほしいです。

冒頭で述べた、「喧嘩するほど仲がいい」という言葉は、喧嘩をしても壊れない関係性であることを言います。私とTちゃんは、喧嘩をしていない時は、仲が悪かったことが本当に不思議なくらい仲が良く、いつも一緒に色々なことを話していました。喧嘩しつつも無意識のうちに、お互いに信頼関係を育んでいたのかもしれません。

聖書にこんな言葉があります。「互いに忍び合い、だれかが他の人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなた方を赦してくださったように、あなた方もそうしなさい。」自分の本音をさらけ出し、たとえぶつかっても許し合い、信頼し続けられる人は、人生でそう多くはないと思います。もしそんな人が近くにいたら、愛情を持って大切に接してください。もしかしたら、一生の友達になるかもしれません。

これで話を終わります。

 

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