本日ここに本校創立50周年を記念する式典と感謝ミサ、並びに祝賀会を行うにあたり、感謝ミサを司式してくださいましたカトリック東京大司教区 幸田和生司教様、祝辞を賜りました日本カトリック学校連合会理事長 河合恒男神父様、そして調布市長 長友貴樹様には、ご公務多忙の中ご来校を賜り、厚く御礼申し上げます。またこの後祝辞を賜ります、日本私立中学高等学校連合会会長 吉田晋先生と東京私立中学高等学校協会会長 近藤彰郎先生には、日頃、日本の私学の健全な発展のために東奔西走のご活躍をしていただいておりますが、今日もお忙しいスケジュールを調整してこの祝賀会にご臨席賜りましたことを感謝申し上げます。以上ご紹介させていただきましたご来賓をはじめ、お忙しい中、本日ご来駕を賜りました多数のご来賓の皆様にも、心から感謝申し上げます。
カトリック学校は多くの場合、修道会が設立母体となっておりますが、晃華学園の設立母体である汚れなきマリア修道会が日本にやってきたのは、1949年(昭和24年)9月21日です。これは、すでに1887年(明治20年)、近代日本の開花期にフランスから渡来し、東京、大阪、長崎で男子のための初等中等教育を行い、大きな成功を収めていた男子マリア会の熱心な招聘によるものでした。
当時の日本は、敗戦後の混乱と経済的苦境にあえぎながらも、新憲法の下で新しい国作りを始めようという時代でした。そのような時代状況の中で、生きる確かな指針を求める日本人にキリストの愛の福音を伝えたい、との熱意に燃えた二人のスペイン人の修道女、メール・マリー・アランザスとメール・マリー・イニアスが、マリア会の招きに応え、ヨーロッパからはるばる極東の国にやって参りました。二人は早速、マリア会が準備した、当時、神代村と呼ばれていた調布のこの土地で、修道生活を始める準備をしていた数人の若い女性たちと共同生活を始めましたが、言葉や生活習慣の違いに加えて修道会自体も大変貧しく、創立当初の苦労と困難は大きかったと思います。
それでも来日した翌1950年には、野良仕事の間、子どもを預かってほしい、という近隣農家の願いに応じ、暁星学園付属のマリアの園幼稚園を開園、7年後の1957年には卒園児のために小学校も開校してほしいという人々の求めもあって、同じく暁星学園付属として晃華小学校が開校されました。そして、この時入学した女子児童が中学に進む年、1963年に保護者の強い希望があって、中学校高等学校も開校されることになりました。
幼稚園、小学校に続いて中高が開校された1963年は、漸く経済の低迷を脱した日本が高度経済成長を始めた時期で、翌年、東京でオリンピックが開催されています。一方、カトリック教会においては、第二バチカン公会議(1962〜65年)が教皇ヨハネ23世によって招集されるという、極めて重要な出来事が起こっております。カトリック教会を刷新し、教会を世界に向かって開いていこうという公会議の精神は、開校したばかりの晃華学園中高の在り方にも大きな影響を与えていたと思います。
さて、中高開校時の生徒数は、中高合わせて106名、校長はハワイ出身の日系2世のアメリカ人で小学校長のシスター・広中・ラウラ・ハウナニが兼務し、専任教諭は十数名という、本当に小さな学校でした。
しかし小さいながら、「カトリックの普遍的な愛の教えに基づく全人教育」と「これからの時代は語学、特に英語教育を重視して国際的視野に立つ女性の育成が大事である」との初代校長の信念に賛同した保護者のご支援、この方針を引き継いだ2代目延江正昭校長と窪田良隆教頭を中心とした教職員の新しい学校づくりにかける情熱と熱心な指導、生徒たち個々の努力、少しずつ増えていく卒業生たちの社会での活躍、そして保護者や地域社会の方々の学園に対する深いご理解とご協力のお蔭で、学園はここまで成長し、創立50周年を迎えることが出来ました。
特に学園創立当初より今日までお世話になった、マリア会の神父様、修道士の先生方、今は亡きミッショネールのシスター達、そして今日、創立50周年を祝うこの祝いの席にご参列くださいましたご来賓の皆様には、陰に陽にお世話になり、ご指導いただいたことを思い、感謝を新たにしております。いただいたご恩に報いるために、創立50周年という節目に際し、学園創立に携わった人々の思い、理想を今一度しっかり受け止め、グローバル化が急速に進む未来に向かって新たな歩みを始めたいと存じます。今後とも引き続きご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げ、ご挨拶に代えさせていただきます。