2013年度

4月12日の宗教朝礼

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投稿日2013/4/12

2013年3月13日、コンクラーベにより、第266代教皇、フランシスコが選出されました。初代から数えて、266代、カトリック教会の歴史を感じます。初代教皇は、ペトロです。
私の洗礼名は、ペトロ・フランシスコ。初代教皇の名前が洗礼名にあること。そして、第266代教皇と同じ聖人を尊敬しているいうことに、何か、私は、因縁めいたものを感じます。
カトリックには、聖人とよばれる人がいます。この人たちは、神によって聖なる者とされた信徒たちのことで、崇拝の対象ではなく、崇敬・尊敬の対象となる人たちです。カトリックの洗礼を受けると、私たちは、この聖人から名前をもらって、本名とは違う、もう一つの名前を持って生きることになります。
私は、小学校4年生の時に洗礼を受けたのですが、その時に付けた名前がペトロ・フランシスコです。

 それでは、今日は、ペトロについて、お話しをします。
聖ペトロは、キリスト教草創期の殉教者で、イエスと行動を共にしていた弟子の一人です。貧しい漁師だったペトロは、弟アンデレと漁をしているとき、イエスに「私についてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と言われ、イエスの弟子になりました。はじめはシモンという名前でしたが、「岩」を意味する「ペトロ」という名前をイエスからつけられました。12人の弟子たちの代表となり、イエスに「あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。私はあなたに天の国の鍵を授ける」と、託され、イエスの後継者となりました。カトリック教会は、このことを根拠に、初代教皇をペトロとしています。
ヴァティカンには、聖ペトロ(サン・ピエトロ)聖堂がありますが、そこはもともとキリスト教禁止のローマ帝国時代に、多くのキリスト者が十字架にかけられて殉教した場所です。イエスの一番弟子であったペトロも、その場所で十字架刑に処せられました。しかし、イエスの受難の際に、3回も「イエスを知らない」と言った経験のあるペトロは、イエスと同じ十字架刑では畏れ多いということで、逆さ十字架を選択しました。ペトロの殉教地にはやがて、ペトロを称えるために、大聖堂が建立されました。ペトロの墓は、現在でも、聖ペトロ(サン・ピエトロ)聖堂の地下にあります。
こんなペトロですが、すごくユーモラスな人物であったようです。
ヨハネによる福音13章には、最後の晩餐において、イエスが弟子たちの足を洗う場面が描かれています。最初は、ペトロは、イエスに「先生が、私の足を洗うようなことはしないでください!」と言っています。
当然のことです。
イエスが生活していた地域は乾燥地帯ですから、靴や下駄がある今日においても足が砂で汚れることが多いと思います。ましてや、イエスが生活していた2000年前の状況を考えると、人々の足は、相当、汚れていたことと思います。屋敷に入る際に、その汚れた足を洗う(拭う)という行為は「主」が行うものではなく、奴隷が行う行為でした。そんな足を「主であり先生」とよばれるイエスが洗おうとしたのですから。
ペトロの申し出に対して、イエスは、「私が足を洗わないのなら、あなたたちと何にも繋がっていなかったこと(関わりが無かったことになる)になる。」と言います。そして、「互いに足を洗い合いなさい」と言います。イエスは、奴隷が行う「洗足」という行為をイエスご自身が行うことによって、他者のために尽くす行為が「愛」であるとお示しになろうとしたのです。この行為の意味が分からなければ、イエスの教えを理解しているとは言えません。文字通りに「互いに足を洗う」ことだけが「愛」ではではありません。しかし、一番弟子であるペトロはどうも、その意味がよくは、分かっていなかったようです。なので、ペトロは、このとき、「足だけじゃなくて、頭も体も洗ってください」とイエスにおねだりをし、一喝されています。
ペトロがお調子者であったことを示すエピソードの一つです。
そんなペトロが、イエスの生き方に倣う弟子たちの中心となり、初代教会を構成し、イエスと同じように、自分の命を他人の罪のために、投げ出し、永遠のいのちを得ます。
私は、そんなペトロの名前を洗礼名に頂いたことを、とても嬉しく思っています。ペトロの名を頂いている私が、少しでもペトロのように生きることが出来るように、皆さんにも祈ってもらえたら嬉しいです。

(おかわり)

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