2012年度

クリスマスについて

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投稿日2012/12/1

 カトリック教会では、12月2日から待降節となり、クリスマスを迎えるさまざまな準備に入ります。それに少し先立ち、晃華学園でも、今週、生徒ラウンジにクリスマスツリー、図書情報センター前には馬小屋、各教室にクリスマスリースが飾られ、クリスマスを迎える準備が行われました。

 クリスマスは、一般的にはイエス・キリストの誕生日と言われていますが、実際には、聖書のどこを見ても12月25日に生まれたということは書かれていないため、本当の誕生日は分かっていません。『クリスマス』という語句は、『キリスト』と『ミサ(派遣する)』という言葉を合わせたものです。つまり、クリスマスは、神が人(イエス・キリスト)となり、この世に現れた(派遣された)意味を考え、感謝し、お祝いしましょうという日です。

 イエス・キリストが生まれた約2000年前のユダヤ社会は、現代と比較して、街灯をはじめとする明かりの少ない闇の社会でした。また、ローマ帝国の圧政に苦しみ、精神的にも闇の世界に包まれた社会でした。その上、頼みの宗教(ユダヤ教)も、律法に縛られて、病気や貧困などさまざまな事情でその律法を守ることのできない人たちは、三重苦の生活を送っていました。

 こんな苦しみの中で、イエス・キリストは、「救いをもたらすのは『他人を愛し、許す心』である」と訴え続け、人々の心に光を点しました。

 現在、私たちは、物質的な明るさの中で暮らしています。そのため、自然の明かりの有り難さに気がついていません。様々な出来事が上手く回っている状態の時(明るい時)も、同様で、遠くで見守ってくれている存在に気付くことはありません。私たちの心が闇に閉ざされた時、初めて、親や友人、先生などの存在に有り難さを覚えるものです。

 キリスト教の信仰を持っている人たちはイエス・キリストを“いつも共にいて、見守ってくれている存在”(『マタイによる福音書』28章20節)と信じて、大切にしています。だから、「クリスマス」を2000年近くの間、毎年、お祝いをしてきたのです。

 クリスマスを迎えるにあたり待降節の間に、次の2つを実践してみて下さい。
 一つは、皆さんを照らしてくれている方々がいることに気付き、感謝をすること。
 もう一つは、自身も周りの人を照らす光となることができるように何かをすること。

 この文章を読んでくれた皆さんに素敵なクリスマスが訪れますように。

(おかわり)

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