今日は私の夏の経験と、中学2年の学年だよりのタイトルに込めた想いを織り交ぜながらお話しします。
私は、みなさんと同じように中高時代をカトリックの女子校で過ごしました。そして、少し前のことになりますが、この夏休みに、卒業して初めてクラスを超えた学年全体の同窓会があり、そこに参加することができました。この同窓会の名前は蒼穹の会です。私の母校では卒業の際、むつみの会とか、地の塩の会とか、その学年ごとの卒業名をいただくという伝統があります。そして、私の学年は蒼穹の会という名前をいただきました。
蒼穹は、広い青空を意味します。先日、合同朝礼で歌った、聖歌「マリアさまのこころ、それは青空、わたしたちを包む、広い青空」からとられています。澄み渡った広い青空のようなマリアさまの心、素敵な名前をいただけたことを当時も嬉しく思っていました。
実はこの「蒼穹」は今の中学2年の学年だよりのタイトルです。今の中学2年生が入学するとき、学年だよりのタイトルを何にしようかと悩んでいたところ、この言葉がふと浮かび上がってきました。高校を卒業してからは、晃華学園に来るまでカトリックからも離れていて、ずっと意識して大切にはできていなかったかもしれませんが、でも確かに自分の中にあり続けていたのだと気付きました。いただいた言葉ではありますが、それをこれから出会う生徒たちにも伝えたいという想いで、タイトルにしました。
さて、同窓会の話に戻します。卒業からこれだけ年数が経っていても、不思議なもので、一気に中高時代の雰囲気に戻りました。会の冒頭では幹事の合図で、残念ながらすでに天に召された先生方へ黙とうを捧げました。その後、会場に足を運んでくださった、高3のときの学年主任だったシスターからのお言葉を聞きました。そこでは、まずここまで無事に歩み、集えたことの感謝から始まりました。そして熊本地震で被災された方、また原爆の日を想い、戦争などで今も苦しまれている方のためにみんなで祈りたいです、とおっしゃいました。きっと、お店の人は驚かれたと思いますが、中高時代、毎日お昼休みの最初にお祈りをしていたことを思い出しながら、自然とみんなで心をあわせてお祈りできたことを嬉しく思いました。
同窓会の最中には、もちろん、行事や先生の話、自分たちが今どこに住んでいて何をしているのか、という近況など、あっという間に時間が過ぎるほどいろんな話で盛り上がりました。が、毎日、昼食前に行っていたお祈りの時間や、宗教の授業のこと、聖歌の歌詞などの話にもなりました。みんなが同じことを経験しているというのは中高ならではでもあります。また、信者であろうとなかろうと、中高時代のカトリック教育で学んだ物事の考え方は、悩んだり困ったりしたときに戻ってくる軸や支えになっていることをお互いに実感しました。
さらに、幹事の人のはたらきかけで、いろんな先生がビデオメッセージを用意してくださっていました。先生方の近況や、印象に残っている私たちの学生時代のエピソード、今の私たちへのメッセージをお話しくださいました。その中で、ある先生は、「退職されてから、毎日食前か食後のどちらか必ず、卒業生の幸せを祈っています、それだけは伝えたいです」と語られていました。卒業後もどれだけあたたかく見守られ、つながっていたのかも実感しました。
ここで学年だよりのタイトルに込めた想いについてお話します。学校生活はもちろん、卒業してからも、いいこともあれば、うまくいかないことや不安なことに出会うことは必ずあります。でもすぐに目に見える結果が出なくても、そういうときこそ見守ってくださる、ここではマリアさまという言い方をさせてもらいますが、目に見えないものの存在があるということです。このことを信じていろんなことに挑戦していってほしいと願っています。そして2つ目は、みんな1人1人が神様から愛されているかけがえのない存在であるということです。周りの人を大切にし、小さいことでも誰かにとってのマリアさまになれるような存在であってほしいと思います。同時に自分自身のことも大事にしていってください。
高校3年生のみなさんは、晃華学園でお祈りをしたり聖歌を歌ったりする機会も残りわずかになってきていますね。自分のことでいっぱいいっぱいになる時期ではあると思いますが、お祈りとともに日常を過ごしてきたことは卒業して何年経っても、むしろ何年、何十年も経ったときこそ、みなさんを支えてくれるはずです。高3に限ったことではありませんが、お祈りが身近にあることを大切に、そして自分も周りの人も大切に日々を過ごしていってください。