晃華学園では毎週土曜日、全校生徒にむけて教員が自分の考えを放送で語ります。
生徒にとっては、カトリックの価値観はもちろん、教員個人の多様な価値観に触れ、自らの価値観について考える機会となっています。
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晃華学園の設立母体となる汚れなきマリア修道会は、二人の修道者によって設立されました。
一人は、アデル・ド・バッツ・ド・トランケレオンです。
もう一人は、ギヨーム・ジョゼフ・シャミナードです。

二人は、信徒マリアニスト共同体、アリアンス・マリアル、汚れなきマリア修道会、マリア会という4つのグループを立ち上げます。「マリアニスト」と呼ばれる、その4つのグループは、今日も世界中で青少年の教育と生活困窮者の救済のための事業を中心に活動しています。
アデルは1828年1月10日に帰天し、シャミナードは1850年1月22日に帰天しました。マリアニストは、この両創立者の帰天日の時期に、創立者に感謝し、創立者に心を寄せる期間を過ごしています。
今日は、マリアニストの創立者であるシャミナード神父について、お話ししたいと思います。
シャミナード神父は、1761年にフランスで生まれました。若い頃から神さまに仕える道を選び、司祭になりました。でも、その後フランスでは革命が起こり、教会や信仰が厳しく迫害される時代になってしまいます。神父は政府の命令に従うことを拒み、命の危険を感じながらも、信仰を守り続けました。
やがて、スペインのサラゴサという町に亡命します。そこには「柱の聖母聖堂」という、聖母マリアに捧げられた美しい教会がありました。神父はその場所で、毎日祈りながら、祖国にキリストの教えをどう復活させるかを考え続けました。そしてある日、聖母マリアのご像の前で祈っているとき、「マリアニスト家族をつくりなさい」という霊的な示しを受けたと言われています。
1800年にフランスへ戻った神父は、若者たちと一緒に活動を始めました。貧しい子どもたちに勉強を教えたり、孤独な人を助けたり、まさに福音を生きるような働きです。こうして「聖母青年会」が生まれ、後にマリア会や汚れなきマリア修道会へとつながっていきました。
さて、ここからはシャミナード神父が大切にしていた「信仰」について、少し深く考えてみましょう。
神父が言う「信仰」とは、ただ神さまを信じるというだけではありません。それは、神さまと心を通わせながら、自分自身が少しずつ変わっていくこと。そして、神さまの導きに気づきながら、日々を生きていくことです。
神父は「信仰に生きる」ということを、次のように教えてくれています。
まず一つ目は、心を開いて現実の世界に向き合うこと。神さまは、特別な場所だけにいるのではなく、私たちの隣にいる人や、日々の出来事の中に現れてくださいます。だからこそ、目の前の人に心を開くことが、神さまに心を開くことにつながるのです。
二つ目は、積極的に神さまの声を探すこと。ただじっと待つのではなく、神さまの意思を見つけようとする姿勢が大切です。まるでレーダーのように、神さまのメッセージをキャッチしようとする心の動きです。
では、どうすれば神さまの意思に気づくことができるのでしょうか?
神父は、三つの方法を教えてくれています。
一つ目は、祈ること。
祈りは、神さまの前に静かに立ち、自分の心を差し出す時間です。神父は「祈りの中でこそ、神の意思を発見できる」と語っています。祈りは、神さまと心を通わせる大切な時間なのです。
二つ目は、人の助言に耳を傾けること。
自分だけで答えを出そうとせず、誰かの言葉に耳を傾けることで、神さまの導きに気づくことがあります。友だち、先生、家族…誰かの言葉が、神さまからのメッセージになることもあるのです。
三つ目は、経験をふり返ること。
過去の出来事や、これまでの歩みの中に、神さまの語りかけがあるかもしれません。苦しかったこと、嬉しかったこと、悩んだこと…そのすべてが、神さまとの対話の一部なのです。そして神父は、こう語っています。
「信仰の人になるとは、苦しい時も神さまに心を開き、神さまが私たちの中に住んでくださるように、自分をゆだねることです。そうして、神さまと親しい関係を築いていくのです。」
この言葉は、私たちの日常にもつながっています。
忙しい毎日の中で、ふと立ち止まり、神さまの声に耳をすませる時間を持つこと。誰かに心を開き、過去の経験をふり返りながら、神さまの導きを探すこと。それが、シャミナード神父が私たちに教えてくれた「信仰の道」なのです。
今日のお話が、皆さんの心に小さな灯をともすきっかけになれば嬉しいです。