今日は「お祈り」について、いくつか考えてみたいと思います。カトリックの暦で今週はイースター前の聖週間に当たり、十字架にかけられたイエス・キリストの苦しみに思いを馳せます。皆さんが今週歌っている「いばらのかむり」という聖歌も、その場面が描かれています。弟子たちの裏切り、人々のあざけりなどを思い起こし、自分の中にも潜む弱さ、醜さに目を向けます。特に聖金曜日、聖土曜日には教会では祭壇の飾りが取り払われ、ミサも行われません。キリストの復活を準備するために断食や徹夜をして、今この瞬間にも、修道院で真剣に祈りを捧げておられる人々に、私は深い尊敬の気持ちを抱きます。 一方で、修道者ではない私達の「お祈り」はどうしたらよいでしょうか。新学期の研修で、先生方の話し合いの中でも、HRのお祈りを大切にしよう、という声が多くありました。「意向ノート」を作って、日直さんがお祈りの言葉を考え、紛争や自然災害で傷ついた人々のためにお祈りする姿に、大きな希望を感じます。静かな環境で落ち着いた気持ちで祈ることはもちろん大切ですが、今日皆さんにお勧めするのは、普段の活動に合わせてできる「お祈り」です。
たとえば、テニスの試合で、「このサーブが決まりますように!」と魂を込めてボールを打つとき、それは力強い祈りになります。射撃で、的に命中させようとして矢がヒュッと飛んでいくようなイメージです。「射撃」の「射」に「祈る」と書いて、「射祈」という、短いお祈りがそれに当たります。食べ物を味わいながら食事をいただく、難しい宿題を投げ出さずに取り組む、自分も忙しいけれど友達の仕事を手伝うなど、いま・ここでやるべきことを真剣に行うならば、それは祈りに通じます。むしろ行動の中に祈りが宿るとも言えるでしょう。これならば、皆さんもできる、あるいはすでにやっていることではないでしょうか。祈りの言葉が単なるきれいごとではなく、少しでも良い行動へつながり、理想を実現する原動力となるのです。 もう一つ、「お願いとお祈りはどう違いますか」という質問をした時、あるシスターから自分の願い事をお祈りしても良い、ただし、願い事がかなうまで本気で祈り続けることだと教えていただきました。 東日本大震災で大きな被害を受けた福島を訪れて以来、何かしら復興に関わりたいという思いが芽生え、毎日のお祈りリストに入れているのですが、その祈りが目に見える形で表されたと感じる出来事が、春休みにありました。
「むさしのエコreゾート」で開催された「晃華学園SDGsポップアップストア」(「ゆるSDGsフェスティバル」)には多くの生徒が参加して、企業とのコラボ、他校とのワークショップ、SDGsカフェ、小学生向け授業が行われました。その中で、福島の復興支援に関わるgoalsのメンバーが環境省の方と語らうプロジェクトは、震災当時、まだ幼かった彼女たちが、大人に向けて発表するものでした。現地に何度も足を運び、放射能を浴びた土壌を処理する中間貯蔵施設を見学した生徒たちが感じたこと、考えたことが率直に述べられて、聴きながら大きく心を揺さぶられました。また、晃華学園の姉妹校である暁星学園小学校の「ちいさな星たちのコンサート」では、本校の聖歌隊が賛助出演し、福島の復興を願って作曲された「群青」という歌が披露されました。「自転車をこいで/君と行った海」という歌詞を聴きながら、津波で大きな犠牲を払ったにも関わらず、大海原を愛し続ける福島の人々の思いが感じられて、涙がこみ上げてきました。自分の小さな願いをはるかに越えて、晃華学園の生徒が大きく羽ばたいていく姿を目の当たりにして、祈りの力の大きさを改めて感じました。福島の人々が心の底から安心して暮らせるようになるまで、ささやかな祈りを続けていくつもりです。
カトリック教会では、今年は25年に一度の聖なる年、「聖年」と定めており、教皇フランシスコは「希望の巡礼者」というスローガンを掲げています。私達の日々の歩みは巡礼の旅そのものです。困難な旅路であっても、共に歩む仲間と助け合い、励まし合って進むとき、大きな希望が与えられます。皆さんの学園生活が希望に満ちたものとなるよう祈っています。