晃華学園では毎週土曜日、全校生徒にむけて教員が自分の考えを放送で語ります。
生徒にとっては、カトリックの価値観はもちろん、教員個人の多様な価値観に触れ、自らの価値観について考える機会となっています。
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もう7~8年前の話になりますが、晃華学園の中学3年生の京都奈良学習旅行の引率に行ったとき、奈良の興福寺の五重塔をお参りした生徒が、「ねぇねぇ、お参りって、二礼二拍手一礼だっけ?」と周りの友達に確認していたのを聞いて私は頭を抱えました。二礼二拍手一礼はお寺ではなく神社でのお参りの仕方です。晃華生は、キリスト教のミサには精通していますが、仏教や神道のことは意外とわかっていないのではないかと心配になりました。そこで今日は、仏教の般若心経についてお話します。
般若心経は262文字の漢文です。お釈迦様が弟子に説いた言葉を要約したものだと言われています。観自在菩薩行深般若波羅蜜多・・・・と続く、お葬式などで耳にするあの言葉です。あのお経の真ん中あたりで、色即是空という有名な言葉が出てきます。簡単に言うと、この世の全ては「くう」(これは空と言う字を書いてくうとよみます)であるという意味です。この「くう」の意味は空っぽ、空虚という意味、何もないというイメージですが、実はもっと深い意味で、「実体がないもの」と訳されています。
また、般若心経には、無(む、ない)という漢字が何度も出てきます。みなさん、無という字を机に書いてみてください。この漢字、書き順は間違いやすいし、バランスも取りにくいですよね。お経ではこの「無」がなんと21回も出てくるのですよ。ちょっと読み上げてみます。「無色無受想行識無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無・・・」
私は趣味で写経をするのですが、この「無」という漢字が出てくる度に、「はぁ、無がきたよ、この漢字、苦手なんだよな、また無だよ・・・」と気分が下がるのでした。なぜこんなに無という字が出てくるかというと、この世の全ては空であり無であるからです。
お経の意味をいろいろ調べたときに、「この世は空(くう)であり無であるから、あなたの苦しみも悲しみも全て実体がないのだ、思い悩むな」という言葉だと知りました。そのとき、私の体に電気が流れるような衝撃を受けました。実は、天文学や物理学においては、宇宙の始まりは「まだ物が何もない無の状態」から始まったと言われているのです。何もないのにこれだけの星が誕生するって、一般人には到底理解できないことだと思うのですが、お釈迦様の言っていることと同じだと直感したのです。
それから、人生に対する考え方は大きく変わりました。お釈迦様は、この世の執着を捨てなさいといつも説いています。あの人に勝ちたい、テストで良い点数を取りたい、あの人に振り向いてもらいたい、ほめられたい、こういった執着は全て実体のないものに対する執着だからやめなさいと説いています。もちろん、こういう執着こそが人間くさくておもしろいのですけれども。もし、自分の今の生き方に何らかの苦しみがあるなら、執着を手放す視点を持ってみることをおすすめします。
ここまで熱く仏教について語っていますが、別に私は仏教徒ではありません。どの宗教にも良い言葉がそれぞれあると思っています。ちなみに、キリスト教の聖書の言葉の中で私が一番好きな言葉は、「明日のことは思い煩うな」というものです。心配しても結果が変わらないことには悩まないという生き方は、人生を楽しく生きる大事なポイントではないでしょうか。執着を捨てる、ちょっと意識してみてください。