2024年度

校長先生のお話(2025年1月7日の始業式より)

投稿日2025/1/21

 皆さん、あけましておめでとうございます。2025年は昭和100年に当たる年です。100前の日本は、どのようだったか、日本史などで勉強していらっしゃるかと思います。人口も6,000万人ぐらいでした。この100年、日本は本当にいろいろ経験してきました。人生百歳の時代、皆さんは、日本の次の100年の入り口に立っています。いろいろ経験されるかと思いますが、これからの活躍を祈念するばかりです。 

 三学期の始業式は、他の学期の始業式と違って、高3の入試が近づいているだけに緊張感が漂う始業式です。高2以下の皆さんも、新年を迎えて、やはり緊張されているかと存じます。緊張感は若い皆さんにとってはエネルギーの一種とも言えます。三学期もしっかりと頑張って頂きたい。 

 昨日、晃華学園の教職員全員が集まり、青木勲神父様の下、新春ミサが厳かに挙行されました。そのあと、本学の設立母体である汚れなきマリア修道会のシスターで管区長であり、本学園の理事長でもありますシスター・レイのお話を拝聴いたしました。そのお話の中の一部を紹介させていただきます。 

 シスター・レイはデカルトの「われ思う故に我あり」をシスターなりに解釈され、「思う」あるいは「考える」前に、「聴く」ことが大切ですとおっしゃっています。確かに、何も頭の中にないとすれば、考えることもできない。考える材料をしっかり「聴く」ことによって頭の中に入れることが大切であり、聴いて互いに理解することが大切です。 

 私は、このシスターの言葉を聴いて考えました。確かに、この頃の教育は、自分を発信することに重点が置かれているように思いました。プレゼンテーション能力が重視され、いかにうまく自分の考えを伝えるかに焦点が当てられ、反面、他人の考えや意見に耳を貸さないという現象が多々見られます。友だち間のトラブルでも、自分の正当性を主張するばかりで、相手の考えや主張を聴こうとしないため、一層トラブルが深刻化し平行線のままで、なかなか解決に至りません。相手の考えや主張に少しでも耳を貸す態度があれば、トラブルは解決し、「共に協力」し、「共に歩める」関係になるかと思います。 

 今年の心構えの一つに「聴く」ということを入れてみたらいかがでしょうか。友だちや先輩後輩と「共に歩む」ために、「聴く」ことがいかに素晴らしいことか、身をもってわかるかと思います。 

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