晃華学園では毎週土曜日、全校生徒にむけて教員が自分の考えを放送で語ります。
生徒にとっては、カトリックの価値観はもちろん、教員個人の多様な価値観に触れ、自らの価値観について考える機会となっています。
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今日は私から2つのことをお話します。
一つ目は、前回の宗教朝礼で他の先生が取り上げてくださった聖歌「いつくしみふかき」に関することです。今日は前回とはまた異なった視点で「いくつくしみふかき」に関するお話をします。
実は、私は父親が牧師で生まれながらにして教会過ごすという、かなり特殊な環境で育ちました。牧師の子どもによくある話として「日曜日が忙しい」ということがありますが、そのほかにも「お葬式に参加する機会が多い」ということがあります。
そもそも教会という場所は日曜日に礼拝をするだけでなく、年間を通して結婚式やお葬式を行う場所でもあります。また教会には高齢者が多く、必然的にお葬式の回数は多くなります。そのため私は小さい頃から、お葬式に参加する機会が多く、たくさんの人間の死に直面してきました。キリスト教のお葬式では必ずと言ってよいほど、「いつくしみふかき」を歌います。私は小さい頃から、「いつくしみふかき」を何度も聞いて、自然とこの聖歌を口ずさんでしまうほどです。
キリスト教のお葬式の定番ソングともなっている「いつくしみふかき」を聞くと、私は人間の死に想いを巡らせます。死はすべての人間が避けて通ることができないことの一つです。そして、死という究極の限界に直面することで、人間は残された時間で、自分に何ができるのか、何をしたいのかを考えることができます。11月は慰霊祭・静修会もありました。亡くなった故人に想いを巡らせる大切な時間となりましたが、皆さん自身も生と死に向き合い、自分の生き方を見つめ直すきっかけになったのではないでしょうか。そして、これから長い人生を歩む皆さんは、神様から与えられた1日1日を、そして「いま」を大切に生きてほしいと思います。
一方、私たちが「いま」を大切にしたとしても、将来に対する不安が拭えるわけではありません。期末考査を控えた皆さんにとって、そして何よりも大学受験を控えた高校3年生の皆さんにとっては、今の努力がテストや入試本番に十分に発揮できるか不安でいっぱいだと思います。
そこで、2つ目の話をします。私が好きな御言葉の一つに、次のような聖句があります。
「恐れるな、わたしは あなたと共にいる」
この御言葉は、「イザヤ書」に書かれた聖句で、神さまがヤコブに語りかけられたときのものです。さらに、ここから連想される言葉として、次のパウロの言葉がよく引用されます。「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(コリント人への第一の手紙10章:13節)
これから皆さんは、人生の中でさまざまな壁に直面します。他者との人間関係を大切にしながらも、自律した人間としての歩みを続けるために、悩み、苦しむこともあるでしょう。そんな時に、常に自分に注がれている神様の無償の愛に気づき、私たちは安心して壁に立ち向かい、その壁を乗り越えていくことができます。いつ如何なる時にも、神様が共に歩んで下さることを信じ、失敗を恐れずに挑戦し、これからの人生を大切に生きて下さい。
最後に、「恐れるな。わたしは あなたと共にいる」いう聖句をテーマにした、マーガレット・F・パワーズの『あしあと』の詩の一部を紹介します。
ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
しかし、主人公のわたしは、人生で一番つらく、悲しい時、一つだけしかなかったあしあとに気づきます。そして、わたしが主を一番必要としたときに、なぜわたしを捨てられたのかと問いかけます。すると主は次のように答えました。
わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。