2024年度

先生のお話(2024年9月28日の宗教朝礼より)

投稿日2024/12/18

晃華学園では毎週土曜日、全校生徒にむけて教員が自分の考えを放送で語ります。
生徒にとっては、カトリックの価値観はもちろん、教員個人の多様な価値観に触れ、自らの価値観について考える機会となっています。

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今日は僕の、行動する上での原動力についてお話したいと思います。

その前に、僕の過去に関する話を少しだけ。僕はみなさんと同じ中高生の頃、とにかく努力というものが出来ない人間でした。勉強にも身が入らず、かといって部活に心血を注いでいたかというとそうとも言えない。とにかく“大変なこと”から逃げ続けている、そんな人間だったと思います。高校生になり、少しずつそのことを自覚し始めた僕は、「やる気が出ないのは自分がそういう人間だからだ」と、半分諦めのような考えまで持つようになりました。今となって振り返ると許せませんね。

高校を卒業したのち、大学へ進学した僕は、大学生活の中で塾講師のアルバイトを始めました。勤務先の塾は個別指導型で、生徒一人ひとりに向き合い、それぞれの学力向上に向けて指導にあたります。始めは「勉強を教えるのは好きだから」くらいの想いで始めた塾講師ですが、始めて2年ほど経った頃、僕はあることに気が付きました。あれだけ「努力が出来ない人間だ」と思っていた自分が、夜通し生徒のテスト対策用プリントを作ったり、授業時間外に生徒の自習に何時間も付き添ったりしているのです。もちろん、タダ働きで。しかし、そういったことに時間と労力を費やすことは僕にとって何も苦ではなく、むしろそこに“楽しさ”を見出している自分までいました。あれだけ努力することから逃げてきた自分が、なぜここまで塾での仕事に熱を注ぐことができるのか?そのことについて考えたとき、自分の原動力が“自分のため”ではなく“他人のため”なのだということを自覚しました。

“ノーブレス・オブリージュ”

この学校の一つの教育理念でもあり、教室の壁にも貼ってある、皆さんにとっても馴染みのある言葉ではないかと思います。“能力は他者のために使うよう与えられたものである”そんな意味をもつこの言葉ですが、もとは『新約聖書-ルカによる福音書』中の一節「すべて多く与えられた者は多く求められ、多く任されたものはさらに多く要求される」という部分に由来します。聖書からの元来の意味は「多く与えられた者にはそれに伴って義務や制約が発生する」といったニュアンスであり、そこから転じて、他者を尊重し、他者のために力を注ぐことを美徳とする、現在の解釈も広く持たれるようになりました。実はこの言葉は、前の自己分析を通じての共感から、僕がこの学校の教員になりたいと感じた大きな理由の一つでもあります。まさに、僕自身の原動力についてありありと表現するような、そんな言葉にこの学校を通じて出会うことが出来たわけです。

さて、みなさんは、自分の行動の原動力とは何だと思いますか?

活動そのものの楽しさ、自分の将来への期待、あるいは焦り…。はたまた、今の時代では「推しのために頑張る」みたいな形もあるかもしれません。どのような形であれ、そして何をするにしても、自分を内部から突き動かす衝動的なエネルギーというのは物凄い力を発揮します。今はまだそれが何か見つかっておらず、かつての僕のように「やる気出ないな…」と感じている人もいるかもしれませんが、力の源は思わぬところにあるかもしれません。ぜひみなさんも色々なものに触れ、そして色々な経験をすることで自分の原動力となる存在を探してみてください。それが、現在あるいは未来の自分の助けとなるかもしれません。

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