2024年度

先生のお話(2024年10月5日の宗教朝礼より)

投稿日2024/10/21

晃華学園では毎週土曜日、全校生徒にむけて教員が自分の考えを放送で語ります。
生徒にとっては、カトリックの価値観はもちろん、教員個人の多様な価値観に触れ、自らの価値観について考える機会となっています。

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アンネのバラの横に、聖コルベのバラがあるのを知っているでしょうか。このバラの名前の由来は、アウシュビッツ収容所で、ある囚人の身代わりとなって亡くなったカトリック司祭マキシミリアノ・コルベという方です。

マキシミリアノは1894年ポーランドの織物職人の家に生まれ、16歳でコンヴェンツァルフランシスコ会に入会し、1918年に司祭となりました。ローマで勉強したのちポーランドに帰り、ニエポカラノフ修道院を設立し「無原罪の聖母の騎士」という雑誌を発行する活動を始めます。無原罪とは、この学校の設立母体である「汚れなきマリア修道会」という名前にもあるように、罪の汚れがないという意味です。彼は聖母マリアへの熱い信頼を持ち続けながら、キリストの生き方に倣った生涯を送りました。

1930年に来日し、日本語がわからなかったにも関わらず、長崎で1ヶ月後には月刊誌「聖母の騎士」を発行し、日本での宣教活動に励みました。この月刊誌は現在でも発行され続けています。
1937年コルベ神父はポーランドのニエポカラノフ修道院の院長に選ばれたため、日本を離れます。第2次世界大戦がはじまり、「聖母の騎士」の記事の内容が反ナチス的だという理由で逮捕され、アウシュビッツ収容所に送られました。1941年そこで一人の逃亡者が出たため、罰として10人が餓死室に送られることになりましたが、コルベ神父様はそのうちの一人で妻子ある人の身代わりを申し出ます。餓死室で最後まで生き残ったコルベ神父は注射によって8月14日47歳で命を絶たれました。ヨハネによる福音書にある「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」というイエスの言葉がありますが、それを実践し1982年に殉教者として聖人の列に加えられました。カトリック多摩教会には聖コルベの遺物があります。

命を助けられた方の名前はガヨヴイニチェクさん。1995年93歳まで生き抜きました。日本のテレビに出演したこともあります。

最後にコルベ神父の言葉を紹介します。「ロザリオの祈りを大切にしてください。そうすればきっとマリア様は、あなた方を幸せにしてくださるでしょう。」10月はロザリオの月です。教皇フランシスコは平和のために10月6日にローマでロザリオの祈りを行うことを発表しています。学校でもアデルホールで週に3日程お昼休みにロザリオの祈りを唱えています。だれでも参加できますので一緒に静かな祈りの時を過ごしてみてはいかがでしょうか。

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