晃華学園では毎週土曜日、全校生徒にむけて教員が自分の考えを放送で語ります。
生徒にとっては、カトリックの価値観はもちろん、教員個人の多様な価値観に触れ、自らの価値観について考える機会となっています。
ーーーーーーー
好きな芸能人はいますか?推しはいますか?と聞かれること、ありますよね。
晃華生の皆さんは、ぱっと答えられる人も多いでしょう。私は昔からアイドルなどに夢中になる経験がなく、友人が推しを語る姿が輝いて見え、羨ましいと思うこともありました。
ずっと自分は「推し」とは無縁の人間だと思っていたのですが、最近、広報という学校のことを外部の方に知ってもらうためのお仕事をしていて気が付いたことがあります。それは、わたしはずっと「私立学校」に対して推し活をしていたということです!どういうこと?と思われますよね。活動内容はこんな感じです。
自分の受験時代には、本屋さんにある「中学受験案内」の本を読み漁り、特に制服紹介に関しては掲載されているほとんどの学校を覚えるくらい、目を皿のようにして読み込んでいました。受験が終わったらそれも終わりかと思いきや、活動は続き、パンフレットを集めて比較したり、変更点のチェック・偏差値の確認をしたり、忙しかったです。何目線なのか謎ですし、学校側のターゲットは受験生なので非常に迷惑な人だったことでしょう。
その後、美術が好きで、私立学校が好きなわたしは私立学校で美術の先生として働きだします。今思うと必然ですね。
そして、大のお気に入りポイントである「女子校」と「キリスト教」を兼ね備えた晃華学園にたどり着きました。これをアイドルに例えるならば、好きすぎてもはや運営側に回ってしまった人という感じです。自分でも怖いです。永らく最推しは母校だったのですが、今は晃華学園も加わりました。
さて、晃華の一員として過ごす中でひとつ危機感を持っています。それは「中に入ってしまうと客観的な視点が失われてしまう」ということです。
新約聖書の有名なたとえ話の一つに「丸太のたとえ」があります。
「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。」これはイエス様が「人を裁くな」とおっしゃった後のたとえ話です。
「他人の問題点や攻撃には敏感で、声高に指摘するけれども、実は自分自身にも問題がある、人を攻撃していた」なんて矛盾を抱えていること、あると思います。
私も晃華の一員となったことで、以前はいろいろ疑問に思っていたはずなのに、それが当たり前なってきてしまうのではないかと感じます。同時に、常に疑問を持ち、考え続けることは非常にパワーがいるので、心折れそうです。
ただ、一つ、私立学校ファンとして確信していて、皆さんにも覚えていてほしいことがあります。
それは「卒業生に愛される学校は強い」ということです。
私は母校を愛しているし、かけがえのないものをいただいたと感じます。晃華生にもぜひそう思ってほしい!母校のことが嫌いなんて悲しい状況には絶対にさせたくないです。
学校は単なるサービスとは違いますから、「満足度100%」というのは不可能です。不満に思われることもあるでしょう。
でも、きっと些細なことでも「晃華で良かった!」と思ってもらえる瞬間があれば、皆さんを通じて、晃華は続いていくだろうと思います。一員であることを誇らしく思える学校になるために、まずはイエス様のお言葉通り謙虚に、考えるのをやめないこと。そして生徒であるみなさんにも母校となるこの学校を愛していただき、推していただき、みんなで尊い晃華学園を作っていけたらと思っています。