2024年度

先生のお話(2024年5月11日の宗教朝礼)

投稿日2024/6/5

晃華学園では毎週土曜日、全校生徒にむけて教員が自分の考えを放送で語ります。
生徒にとっては、カトリックの価値観はもちろん、教員個人の多様な価値観に触れ、自らの価値観について考える機会となっています。

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私は地球上の生物の中でヒトだけがすごい生物、とは思っていません。しかし、人間が駆使している力の中で「言葉」はすごいものなのではと思っています。何せ言葉は時間も空間も超えて、先人が発見したことや考えたことを伝えてくれます。新約聖書でもこんな記述もあったりします。ヨハネによる福音書の第1章は「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」で始まります。

ここまでは、抽象的な話でしたが、今日は私個人の中で、時間と空間を超えて私を支え続けている言葉を1つ紹介します。高校3年生の3月、祖父が私にくれた短い言葉の話です。

私が高校3年生になった後、私の父方の祖父の認知症の症状が出始め、さらに進行していた病気も見つかりました。残された日々をどうやって一緒に過ごしていくか、という状況でした。ただ、元々祖父は寡黙で優しかったこともあってか、認知症由来の言動は比較的穏やかなものでした。ただ、彼の発言を繋ぎ合わせると、どこか昔の時代に帰っていたのかなというのが周囲の見解でした。

話をその3月に進めます。このような背景もあり、私は特に受験がいち段落した後は、同じ市内にある祖父母のところになるべく顔を出すようにしていました。ただ進学先は県外で、大学内の宿舎に入ることが決まっていたので、いよいよ頻繁には来られなくなるという状況でした。

そこで、その日一緒にこたつに入っていた祖父に「私は来月4月に引っ越すから、そんなにたくさんは来られなくなる」と告げたのです。すると祖父から返ってきた言葉は「嫁に行くんか」でした。しょうがないですね昔に帰ってしまったのだから。ただ、今よりもマジレス人間だった私は「いや、大学に行って勉強する」と言いました。それに対する祖父の返事がたった一言「自由だ」でした。

この短い「自由だ」という言葉は今でも私の中でずっと大きな力を持ち続けています。それどころかこの言葉の重さは年々増しています。その理由を2つ説明します。

まずは祖父自身の歩んできた道のりです。私の祖父は10代のときに太平洋戦争を経験していますが、祖父から戦争の話はほとんど聞いたことがありません。北関東出身で、京浜工業地帯に出てきて、その精密で誠実な性格でばねを作り続け、日本の高度経済成長を支えました。

そんな時代を生きた祖父が昔に帰っていたのだとしたら、10代後半の女子が実家を離れるといったらまっさきに「嫁に行くのか」と思ってしまうような時代に帰っていたのだとしたら。私が大学に行かせてもらうこと、しかもわざわざ県外に引っ越してまで、というのはもういろんな意味で事件ですよね。女性で大学に行くこと、という2重に当り前でないことを応援してくれました。今でも応援してもらっているように感じています。

もう1つは今ここにある様々な「自由」、つまり選択する権利そのものが決して当たり前でないということです。あのときの私はまだわかっていませんでした。今年は都知事選がありますが、日本で女性に選挙権が与えられたのだって戦後の話です。先日高校3年生と一緒に行った沖縄修学旅行の平和学習でも、改めて自由は当然ではないと痛感しました。今自分が様々なものを選択できるというのは、先人たちが必死に戦って獲得してくれたからです。自由を行使できることに感謝しつつ、責任を持って次世代に伝えていかなければとも思っています。

きっとこれからも私は祖父がくれた「自由だ」という言葉を忘れずに生きていくと思います。もちろん言葉には力があるので、間違えるととんでもないことになります。言葉でさんざん失敗して人を傷つけてきた私が言うのも変な話かもしれませんが、どうか皆さんにも人生を支え続けてくれるように、素敵な言葉との出会いがあることを願っています。

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