2024年度

先生のお話し(2024年4月27日の宗教朝礼)

投稿日2024/5/1

晃華学園では毎週土曜日、全校生徒にむけて教員が自分の考えを放送で語ります。
生徒にとっては、カトリックの価値観はもちろん、教員個人の多様な価値観に触れ、自らの価値観について考える機会となっています。

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中学1年生の皆さん、この一ヶ月の晃華生活はどうでしたか。中2~高3の先輩達ですらヘトヘトですから、中1はなおさらでしょう。GWはぜひゆっくり過ごしてください。

学校内で、先輩たちとすれ違うこともあるでしょう。皆からすれば、中2中3はでっかい先輩、高校生は立派なお姉さんに見えるかもしれません。翻って、自分はこないだまで小学生。ましてや、カトリックにあまりなじみのない人は、この宗教朝礼も含めた「宗教教育」にもドキドキしているかもしれませんね。6年間やっていけるかなあ…先輩達みたいに大人っぽい人になれるかなぁ…と、不安に感じるのも無理はないでしょう。もっというと、中2~高2でも、心配だらけの人がいてもおかしくないと思います。

でも、大丈夫です。今では立派な高校生も、中1の時はみんな不安で、みんなふにゃふにゃしてました。

5年ほど前、私の目の前に現れたのが、今の高3、当時の中1達です。

一泊二日のオリエンテーション合宿を経て、学校に通い始めたふにゃふにゃの晃華生たちは、それはもう個性豊かでした。
教室に私物を放置して私に怒られ、その上「でも置いていっても誰にも迷惑かからないじゃん」と言い返して、より一層怒られてみたり。
教科書を失くし、「私別に教科書使わないんで別にいらないです」とビッグマウスを披露して怒られたり。
ペンケースを投げて遊んでいたら、吹き抜け階段の高い所に乗せてしまって怒られたり。
授業や終礼の開始が遅れたときは、クラス全体に対して私が怒り、そのたびに謝るのはいつも同じ人でした。何度か同じことを繰り返すうちに、「○○さん以外に反省している方はこのクラスに一人もいないのですか」と、謝ったのにもっと怒られたりもしましたね。

これでわかるように、今の大人っぽい高3も、中1の頃はふにゃふにゃだったんです。
それでも立派に晃華に通い、コロナで辛い目に遭ってもまた晃華に通い、様々な学びを経験してきました。彼女らの晃華での生活の中には、宗教教育のテーマの一つである「隣人愛」が、いつも傍らにあったように感じます。

少しずつ、しかし着実に、彼女らは矜持を持った人に成長していきました。

印象に残っているのは、コロナのせいで中3にずれ込んだ奈良・京都学習旅行です。中学時代の3年間を学年主任として支え続けた先生へ、最後の夜に何かサプライズをしたい!と企画をしだしたのです。
宿泊行事のサプライズは、言うのは簡単ですが、やるのは至難の業です。教員の厳しい監視をかいくぐり、全部屋分のビデオレターを用意し、先生に着せる衣装を用意し、プレゼントを用意する必要があります。途中何度もバレそうになりヒヤヒヤしながらも、無事サプライズは大成功。ふにゃふにゃだった生徒たちは、誰かのために用意周到にあれこれ気を回せる、隣人愛溢れる晃華生へと成長していたのでした。

サプライズ後、室生犀星の「ふるさとは遠きにありておもふもの」の話になぞらえた、その先生の「君たちのことはあと3年くらい 思い出と思わなくても済むかな」という言葉と大粒の涙に、当時のみんなは驚いていましたね。

中学を卒業すると、晃華生は内面をさらに磨くべく、自分と向き合います。他者のためにどのように自分の能力を発揮していきたいのか、人としてどう在りたいのか、晃華生はみんな悩みます。現在進行形で悩んでいる高校生も多くいらっしゃるんじゃないでしょうか。

ですが、これも大丈夫です。人それぞれですが、私が見る限り、みんなちゃんと自分を磨き続け、自分なりの答えを見つけていっています。

分かりやすい例で説明します。先日の沖縄修学旅行で、再建中の首里城に行った際、普通はパッと見過ごしそうなものを、他の人たちよりも何倍も時間をかけてじっくり作業工程を見ている方がいました。中1の皆さん、なぜだかわかりますか。実はその方は建築学部志望なので、学校行事で得たチャンスをしっかりと物にするために、一生懸命見て回っていたのです。私もその様子をみてとても嬉しくなって、ちょっと時間オーバー気味だけどぎりぎりまで見させてやるか、なんて思ったりもしてしまうくらいでした。

他にも、津波警報で待機を余儀なくされたバス内では、気遣ってみんなを盛り上げてくれた生徒もいました。「この子は昔から他人と自分の気持ちに敏感だったな。集団をグイグイ引っ張ったり、気持ちをまっすぐ奏でたりするのにかけては天才だな」と改めて尊敬させられました。

ペンケースを投げて怒られていた生徒は、気付くといつも「元気がなくて弱っているお友達」の近くにいます。他人の元気のなさをいち早く察知できる、優しい人に育ちました。

生徒の勇気を振り絞らせて、小学生時代の恩師に感謝の手紙を書かせたこともありました。そしたらなんと返事が来て、一緒に読んで私だけ勝手に号泣、なんてこともありましたね。自分がどう在りたいのか、あの時から少し見えてきたんじゃないでしょうか。

”競技中の応援団の旗は、他の色が振ってなくても絶対に振り続ける”とかいうカッコ良すぎるルールを自分に課していた体育祭の応援団長も、「私たちのキャラが違うからこそ、クラス全員をカバーできるんです!」と、大人でも難しいことを平然とやってのけた上で、「みんなのお陰です」と言い切れる合唱コンクール委員もいました。みんな、私には眩しすぎます。

沖縄のひめゆりの資料館で、犠牲者の方々の写真を見て涙する何人もの生徒。「生まれた時代も場所も違う人を悼むことができる、隣人愛の溢れる生徒達だな。もしかしたらひめゆり学徒隊の先生たちも、こんな風に生徒を誇らしく思っていたのかな。戦争は嫌だな。」なんて、もらい泣きしてしまいました。

これらすべてが1年後には“思い出”になると思うと、ついつい私も「君たちのことはあと1年くらい 思い出と思わなくても済むかな」なんて考えてしまいます。

ふにゃふにゃで自信がなかったみんなの、一人一人の成長がとても嬉しくて、思い出に美ら海水族館でジンベイザメの栞なんか買ってみたりして。昔は全然そんなではなかったのに、時々自嘲気味に笑ってしまいます。

改めて、中1の皆さん。これから先、不安なこともあるかもしれませんが、大丈夫です。

聖書には『隣人を自分のように愛しなさい。』とあります。これさえ忘れなければ、皆さんは、6年後には立派な晃華生になっていることでしょう。

これで私の話を終わります。

 

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