2022年度

宗教朝礼(2022年11月5日)

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投稿日2023/2/22

おはようございます。数学科の○○です。

みなさん、応援団の練習や部活の朝練、お疲れ様でした。もしくは、朝から早く来て勉強、バスや電車や自転車に揺られての通学、本当にお疲れ様です。体育祭の前の晃華には似合わない話かもしれませんが、ちょっと我慢してお話を聞いてください。

今時の中高生をみていると、自分にとって好きだったり憧れだったり応援したくなったりする人のことを、どうやら「推し」と表現するようです。皆さんにも「推し」の人はいますか。ジャニーズだったりK-popだったり、もしくはなんとか坂だったり、人によって推しはさまざまでしょう。
先日、職員室前で黄色い靴紐をつけた生徒が『今!推しが!東京に来てるの!同じ空気吸ってるとかテンションあがる!推しが今日も生きてるって最高!推し生きててありがとう!!推しの心臓にマジ感謝!!』と大きな声で言っているのを耳にしました。
良いですね。生きているだけで尊いぞだなんて、文脈を無視すればカトリックの教えにありそうなフレーズです。

もちろん、私の推しは晃華の皆さんです。ただし、誤解されないように断っておきますが、私は同じ空気を吸う云々なんて言いませんので、安心してください。

 

私には、教師になって、晃華に来て、素晴らしい晃華生の皆さんと会うまで、わからなかったことがたくさんあります。

ある晃華生は、プリントを配る際、最前列で「ありがとうございます」と言いながら受け取ってくれます。
私自身、学生時代にそんなことした記憶がありません。なんなら、「別に配ってくれってお願いしてないし!」くらいの勢いでした。プリントを配る立場になった今、この何気ない「ありがとうございます」に教員がどれだけ救われるか、身に染みて感じています。
隣人愛、すなわち他人を自分のことのように愛せ、というのは、案外このようなところで輝きを放つのかな、ということを知りました。

ある晃華生は、面談中、私に対し、「どうして先生になろうと思ったんですか」と尋ねました。
私は非常に言葉に詰まって、「僕は自分の自己実現のために頑張りきることがどうしてもできず、頑張る理由を他人に依存しないと頑張れないから、学校の先生になったんだと思う」と、自分の中で最も嫌いな部分を仕方なく話しました。
すると、その生徒は、「へぇー!かっこいい!」と言ってくれました。
どこまで本心からそう言ってくれたのかはわかりませんが、なんだか私はとっても救われたような気がしました。

ある晃華生は、いつも通りチャイムが鳴る前に机の横に立ち、いつも通り朝礼できちんとお祈りをして、数日ぶりに出勤した私を違和感なく迎えてくれました。
不幸があり、悲しみのどん底にいた私を、そんな事情は一言も話していないのに、いつも通り変わらず礼節をもって私と接してくれました。
一見意味があるようには思えない普段の小さな決まり事は、どんなに辛く苦しい時でも、きちんと落ち着いて日常に戻れるように設定されているのだということを身をもって体感し、生徒のお陰で大崩れすることなく持ち直すことができました。

ある晃華生は、先日の慰霊祭にきちんとした態度で臨んでくれました。
亡くなられた晃華関係者や親族の方々への祈りの中に、私は、生まれることすらさせてあげられなかった小さ過ぎる命に向けての祈りをしのばせました。心臓が動くことすらなかった真ん中の子と、専用の機械でやっと心臓が動いていることが確認できただけの下の子の、2人分。
慰霊祭で一緒に祈っていいのかどうかすらわかりませんでしたが、どこにも行き場のない、このいかんとも形容し難い思いを、これから先も心の中にグッと留めておくためには、この慰霊祭で祈るほかに方法がありませんでした。
晃華生が、厳粛に、正しい態度で慰霊祭に臨んでくれたからこそ、10代の頃の私では考えもつかなかった、生まれてすらいないものへの深い愛情を思い知ることができました。動いたことすらない心臓を推せるなんて、晃華に来て私は成長したと思います。

ある晃華生は、イマドキの生徒でした。授業を担当する前の、遠くからたまに見かける際には、なんでも器用にこなせている生徒に感じられました。なんだか余裕があるな、やっぱり私と違って晃華生はちがうな、なんて呑気なことを考えていました。
しかし、授業を担当することになり、問題集ノートを細かく見てみると、私の想像を遥かに超えた丁寧な演習をしていました。そこで初めて、この生徒は、すでに自分なりに精一杯の一生懸命な努力をしていて、その上で威張らず驕らず、自らを磨き続けているのだと知りました。
私は、呑気なことを考えていた自分がとても恥ずかしくなりました。贖罪のつもりで、その生徒のノートにずっとアドバイスを書き続けました。メキメキと力をつけていき、比べ物にならないくらい遥かに成長した生徒は、その後も努力を続けています。
毎日毎日自分なりに頑張って努力を積み重ねる姿に、私は、学校の先生としての日々を続けていく勇気と、どんなに大変な時でも毎日晃華に行こうと思えるだけの元気をもらいました。

お金を稼ぐための力を優先的に育てる学校は数多くあります。ですが、この学校はそういう学校では無いと、私は思っています。
そして、そんな学校で日々を過ごし、大切なことを一つずつ学んでいる皆さんが、私の「推し」です。
皆さんも私と一緒に近くの晃華生を推してみませんか。ついでに、晃華生である自分を推してみませんか。
これで話を終わります。

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