晃華学園では、進路指導の一環として全学年でオリジナルの進路通信を発行しています。
学習に対して前向きに取り組んでもらうため、今年度は中学生の進路通信で『私は教科のここが好き!』というシリーズを企画しました。
これは、教員が自らの担当教科の好きなところを紹介し、学ぶことそのものの楽しさを実体験を交えて紹介することで、楽しんで学習に向かう姿勢の大切さを伝えていこうというコーナーです。
今回は、中学2年生の社会の教諭からの寄稿です。
「私は教科のここが好き」
社会科の○○○○です。残念ながら今年は中学2年生の授業は担当していませんが、専門は日本史です、高校2年生の日本史B(8時間)と3年生の日本史近現代史(6時間)を受け持っています。
自分がいつ頃から日本史が好きになったのか、はっきりとは覚えていませんが、たぶん小学校4年生くらいの時に、家の近くにあった丸く盛り土をした小さな塚が、昔の人のお墓だと教わって、古墳に興味を持ち始めたのがきっかけだったかもしれません。それからは、地域の歴史の本などを調べて、近所に古墳らしきものが残っていると分かると、自転車に乗ってよく古墳を探しに行き、何か発見できるかもしれないと思い、小さなスコップで土を掘ってみたこともあります(ちなみに、後に知りましたが、無断で掘ることは違法行為です)。そんこともあってか、小学校6年生頃には、大人になったら考古学者になって、まだ調査が行われていない仁徳天皇陵古墳の発掘するのだという夢を語った作文を学校で書いた記憶があります。
その一方で、当時は毎日のようにテレビで放送されていた「水戸黄門」に代表されるような時代劇や、NHKの大河ドラマから大きな影響を受け、歴史上の出来事や人物に強い関心を持つようになり、中学生の時には歴史小説を随分沢山読みました。中でも司馬遼太郎(しばりょうたろう)の『最後の将軍』という、江戸幕府15代将軍の徳川慶喜を主人公にした小説は、自分に大きな衝撃を与えました。字は異なりますが、僕の名前は○○で、読みは慶喜と同じです。将軍と同じ名前だったことは歴史好きだった当時の○○少年にはとても嬉しいことだったのですが、幕末を舞台にした小説や時代劇では、英雄的に描かれる西郷隆盛や坂本龍馬らに比べると、慶喜は幕府を滅ぼした無能な将軍として描かれることが多く、いつも残念で悔しい思いをしていました。ところが、司馬遼太郎の『最後の将軍』では、従来のイメージとは真逆で、慶喜は極めて有能な将軍として描かれており、最初に読んだときは、まるで自分が褒められているかのような錯覚に陥り、とても嬉しかったことを今でも覚えています。
で、この文章で僕が何を皆さんたちに語りたいかというと、歴史上の人物や出来事についての評価(原因や影響)は、後世の人が行うもので、その時の時代や社会、評価する人の立場の違いで、同じ出来事や人物をめぐる歴史の見方が全く違うものになってしまうということです。例えば、江戸時代の田沼意次もその代表例で、以前はワイロ政治によって政治を乱した悪徳政治家として評価されていましたが、近年ではこの評価は大きく変化し、商業政策を重視して幕府の財政改革を試みた先進的政治家として高く評価するのが定説になっています。
皆さんも、歴史上の出来事や人物を、色々な角度から調べてみて下さい、きっと新しい発見があると思います。