2019年度

「私は教科のここが好き!」その⑥(中学進路通信)

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投稿日2019/12/22

晃華学園では、進路指導の一環として全学年でオリジナルの進路通信を発行しています。

学習に対して前向きに取り組んでもらうため、今年度は中学生の進路通信で『私は教科のここが好き!』というシリーズを企画しました。
これは、教員が自らの担当教科の好きなところを紹介し、学ぶことそのものの楽しさを実体験を交えて紹介することで、楽しんで学習に向かう姿勢の大切さを伝えていこうというコーナーです。

今回は、中学2年生の国語の教諭からの寄稿です。


 

私は「国語」のここが好き

 《読むこと》編 

「人類の歴史において、貴族の特権や神の戒律や軍隊規則をふりかざす独裁者、暴君、抑圧者たちには、アーリア人であれ、黒人や東洋人、アラブ人やスラブ人、あるいはどんな肌の色の、どんなイデオロギーの者であれ、みな共通点がある。誰もが本を徹底して迫害するのだ。本はとても危険だ。ものを考えることを促すからだ。」(※1『アウシュビッツの図書係』より、傍線は教員による。)

ヒトラーが政権を執った1933年に、ドイツの学生たちが中心となって公開焚書(ふんしょ)が行われました。「反ドイツ主義」の作品として燃やされた25,000冊を越える本の中には、シラー、アインシュタイン、障害者支援や戦争反対を唱えたヘレン・ケラーの著作も含まれています。「本を焼く者は、やがて人も焼くようになる」と書いた詩人ハイネはユダヤ人、彼の作品も焚書の対象になりました。ハイネの言葉が、奇しくもその後のユダヤ人の運命(≒ホロコーストとは、〝焼き尽くす〟という意味。)を予言することになったのは、周知の通りです。

ものを考えることを放棄すれば、残虐非道な政治が行われたり、多様な価値観が認められなくなったりすることを、私たちは過去の歴史から学ぶことができます。では、考える力はどのように養われるのでしょうか? 私は「考える力は言葉によって形成される」と思います。私たちが他の人とコミュニケーションをとったり、自分の考えをまとめたりする時に、言葉を使ってやりとりをしたり、表現をしたりするからです。

言葉に関する事柄を扱う教科が「国語」ですが、最近のニュースだけを取り上げても、私の周辺では「国語」に関する議論が繰り広げられ、実にかまびすしい。OECD(経済協力開発機構)が行ったPISA2018(学力到達度調査)で、日本の子ども達の読解力が顕著に低下したこと(加盟国37国中11位、ちなみに数学&科学リテラシーは1位、2位の世界トップレベル)、大学入試のセンター試験に代わる共通テストで「国語」の記述式導入が延期されたこと、etc・・・。いわく「今の若者はスマホ依存で思考力や想像力が低下している」、いわく「新聞や本を読まなくなり、視野が狭く内向きでコミュニケーション能力が低い」、いわく「レポートや卒論をコピペで済ませる、自分の言葉で文章が書けない」、いわく「英語の早期教育が重視され、日本語がおろそかになっている」・・・ううむ、お説ごもっとも。どの意見も一理ありますが、じゃあ解決策は? となると便利な特効薬はなかなか見つかりません。

しかし、中2の皆さんの国語力に関しては、私は決して悲観してはいません。これから伸びしろはたっぷりあると感じています。読書の時間を大切にしていること、(個人差はあるものの)おおむね自分の意見をしっかり述べたり、書いたりできることなどが挙げられるからです。

今回は、《読むこと》に関して、最近私が実践している例も含めて紹介します。

 

~多読(たどく)・遅読(ちどく)・積(つ)ん読のすすめ~                        

皆さんも英語の授業で絵本や洋書を使って、生きた英語に触れる機会がある思いますが、私は「多読※2(⇒3原則:①辞書は引かない、②わからないところは飛ばす、③合わないと思ったら投げる)を始めて、物語の世界に入り込む喜びや、「分かったつもりだけれど、読めていない」気づきを経験しました。ORTシリーズでは、よく「cross」という言葉が出てきますが、絵やストーリーを見れば「(人が)怒っている、いらいらしている」ということか、と気づきます。教科書ではこの意味は習いませんでした。登場人物に感情移入し、物語への一体感を味わうことができれば、知らない単語が出てきても気になりません。逆に、すべての単語の意味が分かれば文章を理解したことになるのか、と考えてみると、日本語の文章を読むときに、いかに字面だけ追っていたか、あまり考えずに読み飛ばしていたか、という反省につながりました。

最近は効率化をねらった「速読」を推奨する動きもあり、情報を得るだけ、ストーリー展開を追うだけならば、スピーディに読むこともできますが、優れた文章は一筋縄ではいかない様々な仕掛けがしてあります。気になるところで立ち止まる、再度ページを繰って読み返してみる、自分のペースであせらず読むことが読書の醍醐味ではないでしょうか。(読むスピードは徐々に備わってきます。)「遅読」に関しては、※3平野啓一郎『本の読み方―スロー・リーディングの実践』をおすすめします。)

最後に「積ん読」について。同時並行で何冊かの本を読んだり、読み始めたけれど途中で放り出したり(≒「多読3原則」の3つめ「合わないと思ったら投げる」を実行しているとも言える!)している人は、きっと部屋に読みかけの本がたくさん「積んで」あることでしょう。整理整頓好きの人からすると、部屋が片付かなくてイライラしたりするかもしれませんが、読書体験からすると良い傾向です。放置している間に、読みが「熟成」されていくからです。今すぐ理解できなくても、時を置いて再び出会いが訪れます。『アンネの日記』600ページを読み切れなかった人へ、あきらめなくても大丈夫です。「優れた文学は必ず読者を待っていてくれる」(※4小川洋子)と言われます。皆さんに豊かな読書の時間がもたらされますように。BOOKS will come to you in GOOD TIME!!

参考までに、読書に関して私が学生時代に読んで感銘を受けたエッセイ(※5大江健三郎「言葉、word, mot」)を紹介します。やや難しいかもしれませんが、考えること=「あめをじっくりかきまぜるような渦巻運動」、それが多言語(言葉、word, mot)で可能だということは、今読んでも共感します。

(参考資料)
※1 アントニオ・G・イトゥルベ、小原京子訳『アウシュビッツの図書係』(集英社)
※2 NPO多言語多読 http:// tadoku.org/
※3 平野啓一郎『本の読み方―スロー・リーディングの実践』(PHP文庫)
※4 小川洋子「100分de 名著『アンネの日記』言葉だけが救いだった」(NHK)
※5 大江健三郎『鯨の死滅する日』(文藝春秋)

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