晃華学園では、進路指導の一環として全学年でオリジナルの進路通信を発行しています。(以前の紹介記事はこちら)
学習に対して前向きに取り組んでもらうため、今年度は中学生の進路通信で『私は教科のここが好き!』というシリーズを企画しました。
これは、教員が自らの担当教科の好きなところを紹介し、学ぶことそのものの楽しさを実体験を交えて紹介することで、楽しんで学習に向かう姿勢の大切さを伝えていこうというコーナーです。
今回は、中学1年生担当の社会科教諭からの寄稿です。
こんにちは。社会科の○○です。
いつもはみんなの地理を担当していますが、大学時代はその他にずっと日本史を勉強していました。今回は、日本史と私の関係についての話をしてみたいと思います。
私は高校を卒業するまで奈良県で育ちました。奈良といえば何を思い出しますか?ほとんどの人は鹿が浮かぶと思います。宮島にも北海道にも鹿は大量にいるのに、どうして奈良だけあんなにも鹿のインパクトが強いのでしょうか。もはや、近年に至っては外国人観光客に「鹿に餌をあげるためだけに奈良に来た。」と言われてしまう始末。なんでも、メキシコでは鹿は神様の使いらしく、神様の使いに気軽に触れ合える奈良公園は素晴らしいテーマパークだそうです。
だいぶ脱線しましたが、奈良は鹿だけではありません。東大寺や法隆寺、薬師寺や飛鳥、吉野や熊野古道など、古来より都として栄えてきた奈良には、至る所に歴史的建造物や遺跡が残っています。そんな環境の中で育った私は、いつしか“寺や神社などの重要文化財が身近にあるのが当たり前”という感覚で生きていました。
その後、中学・高校に進学し、そこでの経験が大きく私の進路に影響を及ぼしました。特に中学生活を通しては、「人間は考え続けないと成長しない。」と、どの教科の先生からも常々言われていたので、“言われたことをそのまま覚える”のではなく、“なぜそうなるのか”を考えながら授業を受けるようになりました。するとそれまで、教科書の内容をただ眺めて覚えるだけだと思っていた社会の授業が、「なぜ」「どうして」「なんのために」という疑問を持ちながら考えて聞いていると、途端に面白く思えたのです。
特に、自分の地元に関連の深いヤマト政権や飛鳥~奈良などの古代史には、知っている地名や近所の遺跡などが頻出し、それまでそこにあるのが当然と思っていた遺跡や寺院が、実は壮大な背景をもって造られていたことや、その建造までに多くの人々がそれぞれの思いをもって関わっていたことを知り、非常に興味を持ちました。特にこの時代に惹かれたのは、これまで通学路にぽつんとあった寂れたお寺が、実は当時の天皇が病気の妻を救うために国中の力を集めて作ったものだった!とか、近所の百貨店が建設された際に行われた建設工事で大量に木簡(もっかん)(飛鳥~奈良時代の書類みたいなものです)が出土して、その結果教科書の記述が変わった!とか、身近に歴史の面白さを感じる材料がたくさんあったのも原因かもしれません。
高校に進学したあとも、それらの分野の本を読んだり映画を観たりして、漠然と「このあたりのことをもっと詳しく学べたらいいな。」という風に思っていました。
ですので、大学に進学して専攻を決定する際には、自然とこれまでずっと興味を持っていた古代史を選択して研究を進めました。その中で、多くの文献を読んだり現地調査を行ったりしたのですが、そのたびに新しい発見があり、わくわくした気持ちで勉強を進めたことを覚えています。
歴史分野は文献を読んでそれらを批評することがメインなのですが、たった一つの文献に対しても多くの人々がそれぞれ異なった見解を持っており、意見が分散することがほとんどです。それらを集約するのは非常に困難な作業でしたが、このことから「世の中には同じものを読んでもこんなに多くの意見が出てくるのだなあ。」と、世の中の人々の考え方の多様性を感じました。
そうして、社会科教員として今に至りますが、ここまでこられたのもずっと日本史が好きな気持ちが原動力だったと思います。私の場合はきっかけが地元でしたが、地元に関連する古代史を研究する中で、教科そのものに関係なく様々な気付きや学びを得ることが出来ました。それらの延長として、研究してきた古代史の魅力を多くの人々に伝え、冒頭で触れたように奈良県は鹿だけじゃない!ということを伝えていきたいとも思っています。
皆さんの中にも、社会が好きな人、苦手な人、いろいろ分かれると思いますが、ガイダンスでもお伝えしたとおり、“覚えること”だけにとらわれず、それぞれの考え方を大切にしていきたいと思います。
皆さんも、ぜひ自分の興味のある分野を見付けてみてくださいね。