2018年度

宗教朝礼より

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投稿日2018/12/23

みなさんは、定期テストや資格試験の勉強、試合の後などですごく疲れた時、どうやってリフレッシュをするでしょうか?カラオケで発散したり、美味しいものを食べたり、DVDを見たり…とにかく寝るという人もいるかもしれません。

さて、東京の代々木上原に東京ジャーミーという場所があることをご存知でしょうか。
ジャーミーとはトルコ語でモスクという意味で、つまり、イスラーム教の大きな「礼拝所」のことです。2000年に建てられたこのモスクは、とても綺麗なステンドグラスとアラベスク模様の装飾で飾られていて、見ている人をひきつけます。

イスラーム教徒は、ご存知の方も多いと思いますが、1日に5回も礼拝をする文化があります。
また、断食といって、1ヶ月間日が昇っている間は飲食をせずに、他者のことを思いやる期間があります。さらには、礼拝所では、女性はスカーフを被り肌の露出をせず、男女は1階と2階で座る位置も違います。知識として知っているイスラーム教は、私たちにとってあまりにも馴染みがなく、不思議で、難しい宗教なのではないでしょうか。
私もずっとそう思っていました。
長い歴史の中でイスラーム教とキリスト教が戦い続けたのは、お互いの信じる神様が違い、文化が違い、それが恐怖に変わって、お互いを恐れあっていたからなんだろうなと感じて、歴史を勉強していました。
しかし、最近イスラーム教について2つの経験をし、その考え方が変わりました。

数年前、先ほど述べた東京ジャーミーを訪れた時、礼拝の様子を見学させてもらいました。そこで案内の方が、次のような説明をしてくださいました。「身体の栄養を1日3回の食事でとるように、イスラーム教徒の人たちは1日5回のお祈りで心の栄養を摂っているんです。」と。
確かに、私たちが甘いお菓子を食べて疲れをリフレッシュするように、イスラーム教の人たちもそのひとつの手段として、毎日5回の祈りをして心を癒しているのだと思うと、とてもすんなり理解できました。

東京ジャーミーを建てた方々が住んでいたトルコは、アジアとヨーロッパの境目にある国で、国民の9割がイスラーム教徒の国です。
以前、トルコのイスタンブールを訪れた時に、そんな中でとても珍しくカトリックの教会があったので、入ってミサを見学していました。すると、トルコ語のミサの最中に何度も何度も「アッラー」という単語が聞こえてきました。アッラーというと、「イスラーム教徒が信仰する唯一神の名前」という知識と結びつくと思います。私もはじめは聞き間違いだと思いました。
しかし、確かにキリスト教のミサの最中でアッラーという単語は使われていました。それは、アッラーという言葉は、トルコ語で神様godという意味を示すからだそうです。
この話を聞いて、私たちが信じるものは、元をたどれば同じ神さまであるということに気がつきました。人はその神様からつくられた存在です。キリスト教徒とイスラーム教徒で、違う意見、違う考えを持っていても、その人も自分と同じ神様からつくられた存在と考えると、相手のことを尊重できるのだと改めて気がつきました。

晃華生は、他者に偏見の目を向けない、他人の意見を否定しないということをもうすでに理解していて、素晴らしいことだと思います。
ですが、キリスト教を基盤としていて、宗教がどういうものかというのを普段から体験しているみなさんだからこそ、そこからもう一歩踏み込み、イスラーム教徒に対し共感し、共に働く「共働」ができるのではないでしょうか。

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