2018年度

時間について(2学期始業式 学校長のお話より)

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投稿日2018/9/19

さて、終業式の日に私は、戦争中捕虜となり、七年のあいだ狭い独房の中で生活したジェラルド・コーフィーさんがどのような時間の使い方をしたかをご紹介しましたね。
彼は、「神よ、この時間を私の進歩のために使うことができますように」と祈り、壁を叩いて他の独房の捕虜たちとコミュニケーションをとり、シェークスピアを暗唱したり、フランス語を学んだりしました。そして、皆さんもこの夏休みの時間を、自分を進歩させるために使いましょう、とお話しましたが、どうだったでしょうか。

今日は、先の話に関連して、時間についてもう少しお話します。

ギリシャには時間を表わす言葉が二つあったそうです。一つが“クロノス”、もう一つが“カイロス”という言葉です。
クロノスは、時計の針が刻む量的な時間のこと。例えば、「今から5分間時間を計ります。教室の時計を見ていて、5分経ったら手を挙げてください」と言ったとき、教室の皆が手を挙げるまでの時間のことです。
それに対し、カイロスは、人それぞれが体感する「主観的な時間」を表わしています。例えば、「皆さん目をつぶってください。5分経ったら合図しますから目を開けてください」と言ったとします。この5分が長く感じられた人、あるいは、短く感じられた人はいるか、と質問すると、どちらかに手を挙げる人が出てきます。長いか短いかはその人の主観的な感じ方によるからです。

何故私が時間の話をするのかと言うと、皆さんにカイロスの時間をたくさん持ってもらいたいからです。カイロスは、人生の質・生活の質といわれている「クオリティー・オブ・ライフ」をもじっていうなら、質の高い時間である「クオリティー・オブ・タイム」ともいえるかと思います。

ある人は、「人は時間をうまく使うことや無駄にすることは出来るが、創り出すことだけは出来ない。」、「時間の中で行われたことはやり直しがきかない。」、「人は、時の中で生まれ育ち、やがて去る。」と言いました。
誰にも同じ24時間という時が与えられています。だらだら、嫌々とその時を過ごし、後悔するような時間の使い方をするのか、辛いけれど一生懸命やろうと考えて集中して取り組むのかによって、時間の質、ひいては、人生の質が違ってきます。
集中すると、時間があっという間に過ぎていきます。集中するためには訓練が必要です。毎日少しずつ訓練すると習慣化していき、難しくなくなっていきます。皆さんはこのことを体験的に知っているでしょう。

最後に、聖書で時について書かれている有名な個所を紹介します。
「コヘレトの言葉」3章1節から8節
「何事にも時があり、天の下にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時…」
あとは各自聖書を読んでみてください。

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