2018年度

「どうして泣くの?僕のほうが泣きたいのに」(6月29日のアデル朝礼より)

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投稿日2018/7/13

「どうして泣くの? 僕のほうが泣きたいのに」

今まで投げかけられた言葉でどうしても忘れられない一言があります。
東南アジアにあるカンボジアは、つい20数年ほど前まで、長い間内戦をしていました。
ベトナム戦争が終わった後、カンボジアはベトナムが支援する政権から中国の毛沢東に影響を受けた政権に変わります。彼らは、教師・学者・医者をはじめとする知識人や彼に反対する人々を大量に虐殺し、農民を強制移住させました。この内戦と虐殺のせいで、カンボジアは大きく経済発展が遅れたといわれます。

高校1年の春休み、もうちょうど10年近く前ですが、そんなカンボジアの地域に訪れて、戦争博物館に行きました。
日本とは違って、野外にぽつんぽつんと戦車や武器、衣服が置かれていました。そこで出会い、案内してくれたのは、片足のない青年でした。たぶん、今の私と同い年くらいの年齢だったと思います。
彼は、戦車や衣服の前で、当時なぜ虐殺が行われたか、国民はどう思っていたかなど、ゆっくり話してくれて、初めて知ることばかりで心がとても苦しくなりました。
最後に、彼は自分のことを話してくれました。内戦のとき政府から逃げ回る生活を送っていた途中、地雷を踏んで、彼は飛んでいったそうです。意識を取り戻して見たものは、片方の自分の足と、そして、一緒に逃げていた友達のぐったりした姿だったそうです。彼はその友人を目の前で失いました。

当時の私は、この話が悲しくて恐ろしくて、いつの間にか本人の前で泣いていました。なんで彼がこんなひどい目にあうんだろう、その思いだけで精一杯だったと思います。
そして、その姿を見た彼が発した言葉が、冒頭の言葉でした。
「どうして泣くの?僕のほうが泣きたいのに。」そう言われたときに恥ずかしさでいっぱいになった気持ちを今でも忘れられません。
私は、いまでも、あの言葉にどんな意味が含まれていたのか考えることがあります。たった1週間興味本位でカンボジアを見に来ただけの人に何がわかるんだ、彼がそういう意味でこの言葉を発したとは到底思えないからです。

先日のLHRで見た沖縄の映像もそうですが、戦争など人類の負の歴史を考えるとき、いつも私たちは悲しい映像を見て、ショックを受けて、もうこんな悲劇を二度と繰り返さないようにしようと決意します。それはもちろんとても重要なことですが、それだけでは、平和に結びつきません。自分の中で完結してしまいます。現に世界中でいまでも紛争が続き、終わるめどがたちません。

私たちは、その悲しい現実を見るのはもちろん、これから、なぜ戦争や紛争が起こってしまうのか、その原因を論理的に分析して、考えなければいけないのだと思います。
沖縄戦のビデオでも、米兵の指揮が取れていなくて無抵抗の市民が殺された、とありました。それは、兵士が考えることをやめなければ防げたことです。平和についていえば、「知る」だけで終わりにするべきではないのだと思います。

泣いて完結させるだけでなく、この争いについてもっと考えてほしい、カンボジアの青年はそのことを伝えてくれたのではないかな、と思っていて、今私は彼にとても感謝しています。またカンボジアに行く機会があれば、戦争博物館にいって彼と会って話してみたいです。

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