だいぶ以前になりますが、関西の新聞紙上をにぎわした話題に、
「学校の先生も制服を着るべきだ」という内容のものがありました。
きっかけは小学校の子供を持つ父親の投書でした。
あるとき、子どもの通う学校で公開授業があるというので、
その父親は慣れないネクタイを締め、スーツを着込んで学校に向かいました。
いつもお世話になっている先生に、敬意と感謝の気持ちを込めて、
精一杯の正装をして出かけたのです。
教室の後ろで、同じように身なりを整えた他の父親母親たちに交じって、
父親は少し緊張しながら先生を待ちました。
入ってきた先生はラフなジャージ姿で、足元はサンダルでした。
父親は驚き、落胆しました。
先生が、自分たちの存在を軽んじているような気がしたのです。
父親は、その思いを新聞に投書し、共感した人々によって、
先生たちこそ制服を着るべきではないかという話に発展していったのです。
感謝や敬意、まごころや励ましを表すのは、言葉だけではありません。
服装もまたそれらを表すことがあり、
逆にまた、先ほどの投書のように、人を傷つけがっかりさせることもあるのです。
晃華では先生の制服はありません。
けれども皆さんの前に立っておられる担任の先生、
または学年の先生は、男性ならネクタイを締め、
女性なら心の行き届いた服装をしていることでしょう。
それは、毎日満員電車に揺られながら、
また雨の中を自転車に乗って、教室に集まってくれる皆さんに対し、
「よく来てくれたね。今日も元気でよい一日を過ごそうね。」
という、先生の温かな思いの表れです。
みなさんが朝礼のひと時、上着のボタンを締め、ネクタイをただすのは
「先生、今日もよろしくお願いします」という生徒の皆さんからのメッセージです。
朝夕の教室が、そのように、生徒も先生もお互いを尊重し合い思いやることをのできる、
さわやかな空間であることを願っています。