休日の日は勉強がてら美術館によく作品を見にいきます。日本で多く展覧会が催されているのは印象派の作品ですが、それ以外ではルネッサンス期やバロック期の作品も人気で数多く行われています。特にルネッサンス期やバロック期の作品は聖書の場面を描いた作品がほとんどです。そのような宗教画について、若桑みどり先生の「絵画を読む」をもとに話をしたいと思います。
宗教画が描かれるのには三つの目的がありました。
第一の目的は、ルネッサンス期までの聖書は、日常的に話される言葉で書かれておらず、ラテン語で書かれていました。ですから一般市民は、聖書やその注釈を直に読めなかったのです。読めるのはラテン語を勉強した神父様のみでした。なので、礼拝の時のお説教は聖書を使いながらではなく、描かれた絵「宗教画」を用いて教えられました。
第二の目的は、宗教画を毎日見ることによって、人々の記憶の中にそれらの描かれた宗教的神秘が生き生きとしたものとして残されるからです。
そして第三の目的は私たちにとって文字や言葉よりも、絵画のようなイメージのほうが感情移入しやすく、目で見ることが効果的だからです。このことを教会はよく知っていて、宗教画を画家に描かせたのです。
宗教画は以上にあげた目的などで描かれました。神父様の話を補う役割がとても大きかったのです。そしてある意味では聖書のような役割がありました。
そして、当時の教養のある画家は、描く物にある意味をつけて描きました。例えばレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「聖アンナと聖母子」は祖母アンナの膝の上に母マリアをのせ、マリアの膝の間には息子イエスがいて、イエスは羊を抱えています。
母から子へ、子から孫へという生命の授受がとてもはっきりと表されています。イエスが抱きかかえている羊は生贄の羊です。人類を救うために、犠牲になったイエスそのものです。イエスは生まれた時から、自分は人類のために、死ぬために生まれてきたのだということを伝えようと羊と遊んでいるのです。
今言った内容が絵の横に説明書きが施されているわけではなく、絵を見てその画像を読み解く行為、あたかも聖書を読むような行為、「イメージを読む」ということが宗教画で行われました。私たちは少しでも描かれた物、例えば花や動物などの隠れた意味を知っていると宗教画の絵を見る時に深みが増してきますし、それが教養にも繋がります。
宗教画を見る機会があったら、今日話したことを思い出して、注意深く絵を鑑賞してみてください。