2017年度

6月24日の宗教朝礼から

この記事は1年以上前の記事のため、内容が古い可能性があります。
投稿日2017/6/27

先日、尊敬する人として母親が父親を上回ったというニュースが流れていました。最近の若い人達は、尊敬する人に親を挙げる人が多いと聞きます。今皆さんにとってご両親はどんな存在ですか。
私も小さい頃、親は何でも知っていて、お金も稼いで、とても偉い人だと思っていました。ところが中学生位になると、親の欠点が目につき始め、実は自分が考えていたほど立派な人間ではないようだと、時々失望感を抱くようになりました。親の言うことはおおむね正しく、自分がいかに恵まれているかわかっていても、親に指図されたくない、自立したいという気持ちが強くなり、親の転勤を機に、高3から下宿生活を始めることにしました。

その春は今まで4人家族だった我が家が、兄は大学進学のため東京へ、両親は転勤先の大阪へ、そして私は長野に残るというように、一気にバラバラになった時でした。私は、もう2度と4人で暮らすことはないかもしれないという寂しさよりも、独り立ちを楽しみにする気持ちの方が勝っていました。
引っ越し荷物を送り出し、最後の夕食を母と共にした後、下宿先のおじさんが車で迎えに来て下さいました。別れの時、母は泣いていました。車に乗り込み、振り返って見た母の姿は、あまりにも頼りなく、夜の街に溶けて消え入りそうなくらい寂しげでした。その時私は理解したのです。母も自分と同じように、欠点もあるちっぽけな一女性に過ぎないことを。そんな母が家庭を持ち、一生懸命兄や私を育ててきてくれたのだということを。それなのに私は自分のことしか考えておらず、親を踏み台にしていることを。このことに気付いた時、私は涙が止まりませんでした。

この経験は、生意気な私には大変いい薬になりました。傲慢な私を諌めるために、神様が用意したのではないかと思うほどです。また、今こうして晃華学園で働いているのも、同様に神様がここで学べと導いて下さったのではないかと感じます。自分が今までいかに愛され、赦されてきたかを自覚し、それに対して何をすべきかよく考えるように、と。まさに本校の掲げるノーブレス・オブリージュの精神です。私も皆さんと共に成長できたらと思います。

page top