2017年度

5月13日の宗教朝礼から

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投稿日2017/5/16

私は去年の春から晃華学園でお世話になっていますが、実は私自身の中学と高校もミッションスクールでした。そのため、そういえば中学の頃の聖書の授業ってどんなものだったかな、という風に中高時代を思い出す機会が時折やってきます。私自身はザ日本人という育ちで、お正月は神社、法事はお寺、そしてクリスマスにケーキとプレゼントという感じでした。そのため中学に入った頃はまるで海外に来てしまったかのように日々文化の違いに驚きを感じていました。

その中でも印象に残っていることの1つは、中1の数学のテスト返却のときに起こりました。よくある話ですが、解答確認の後に検算してみたところ、点数が1点だか2点だか多めについていたのです。当時今よりも大分真面目だったので、ドキドキしながら先生にそのことを伝えに行きました。すると、その先生はクリスチャンの方だったのですが、にっこりと笑って、「あなたは天に富を積みましたね」とおっしゃったのです。大変驚きました。

天に富を積むというと、福音書の中に出てくる話です。少し読んでみますね。マタイによる福音書6章19節から『「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」』盗めないし、さびない富ってどんなものなのでしょうね。何かいい物を沢山持っているとか、口座の残高が多いとかだとわかりやすいのですけれど。

ところが先日、眼に見えなくて誰も盗めない財産の話を知る機会がありました。私自身はそのテレビ番組は見ていないのですが、お笑いのビートたけしの母親が大変苦労されながら子育てされた、というお話で、特に子供への教育をとても大事にされたとのことです。その理由は、お金は人に盗まれることもあるが、教育は他人には盗まれないから、だそうです。私はこの話を聞いて、「あ、眼に見えず盗めない富ってあるな」とどこか腑に落ちました。

眼に見えないものを大事にするのはとても難しいですね。特に今の日本は、見た目や持ち物の評価を重んじすぎているような気もします。しかし、そういったもので評価する人たちは、その眼に見える財産がなくなったら、多分いなくなってしまいます。もし、みなさんを今の年齢や見た目でちやほやする人がいても、みなさんが年を取ったら手のひら返しする、というのはイメージしやすいでしょう。しかし、眼に見えない財産。ミッションスクールとしては神様とのつながりの話ですが、他にも、人との信頼の積み重ねとか、知識、教養、経験の類は誰にも盗まれません。

現代の中学生、高校生であるみなさんは、とても忙しい日々を送っていることでしょう。しかし、積み重ねている実感は得難いですが、日々の学業やお祈りを大切にするかどうかの小さな違いは、積み重なっていって大きな違いになると思います。みなさんそれぞれせわしない日々だとは思いますが、見えないものも大切に毎日を過ごしていってほしいです。

穀雨

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