2016年度

9月3日の宗教朝礼

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投稿日2016/9/3

おはようございます。

皆さんがご存じの通り、今年は、伊勢・志摩での首脳会議を中心として、日本各地でG7が開催されています。今月には、長野県の軽井沢で、交通大臣会合が行われます。

私が教員になった年、2000年にも7月21日から3日間、沖縄県名護市で九州・沖縄サミット首脳会合が開かれました。サミットでは、開催国開催地域による最高級のおもてなしがなされます。この九州・沖縄サミットの首脳晩餐会で出されるワイン選びを行ったのは、「現代の名工」となった著名なソムリエ・田崎真也さんです。田崎さんがサミットの首脳晩餐会の乾杯用に選んだワインは、栃木県足利市にある「ココ・ファーム・ワイナリー」で作られたスパークリング・ワイン「グランNOVO(ノボ)」。当時、「ココ・ファーム・ワイナリー」は無名中の無名。聞いた話では、田崎さんもご存じではなかったとのことで、「グランNOVO(ノボ)」に決めてから、「ココ・ファーム・ワイナリー」を訪れて、とても驚いたとのことです。と言うのも、「ココ・ファーム・ワイナリー」は、知的障害者の自立を促す施設、「こころみ学園」を母体として生まれたワイナリーだったからです。「グランNOVO(ノボ)」を首脳たちが飲み干した瞬間は、障害者施設で作られたものが、「お情け」ではなく「品質」で評価された時となりました。この2000年は、「ココ・ファーム・ワイナリー」が果実酒醸造免許を申請して20年、初めてワインを醸造してからも16年の歳月がたっていました。

このワイナリーを作ったのは、川田昇さんです。私が、まだ教員駆けだしの頃、夏休みの生徒指導部教員研修において、この川田さんの講演を聴く機会がありました。川田さんは、知的障害者の教育、更正に半生を捧げ、彼らの経済的、精神的自立のためにブドウやシイタケ栽培に奮闘し、ワイン作りに挑み、日本有数のワイナリーに育て上げると同時に、知的障害者を地元の生産構造に組み込み、地域住民から、なくてはならないと言われるまでの福祉施設に育て上げた方です。川田さんは1920年生まれ、戦後、中学校の特殊学級の担任となり、後に教頭となりましたがその職を3日間で退職し、今から50年ほど前には、圧倒的に不足していた15歳以上の知的障害者の成人更正施設、「こころみ学園」を創設しました。

「こころみ学園」の目標は1.職員は子ども(園生)との差をつけない、2.自然の中の質素な生活をする、3.労働を大切にする、4.地域の協力態勢を大切にする、の4点。園生たちの生活の仕組みを作り出すために、川田さんがブドウやシイタケの栽培など第一次産業を選んだのは、手足の機能訓練の目的と同時に、人手が足りない山と農村こそ、彼らの生きる場所と考えたからであり、その土地の農業経営のなかに園生たちがきちんと根をおろして住み着いた状態が、本当の福祉のあるべき姿と考えたからです。既に、1980年代には、園生たちの働きは地域のシイタケ栽培農家にとって必要なっていきました。平均傾斜度が38度の、崖と形容したほうが合っている山での労働は、知的障害者の生き甲斐や誇りになっていくと同時に、彼らの収入とも、学園の貴重な財源ともなりました。

自然の中で働き、自分たちが働いて作ったものが皆に喜んでもらえる。そのことが知的障害者の喜びと重なり、頑張る力を養い、作業能力を高めていく。親が心中まで考えたという園生たちは、こころみ学園でブドウ畑などの仕事を続けているうちに、少々のことでは音をあげずにやりぬくたくましい青年となり、寡黙でしたたかな農夫に変貌を遂げていったのです。

今年の夏、相模原の障害者施設で、本当に悲しい事件がありました。犯人は、障害者は、世の中の役に立たないと思っていたようです。このような発想は、川田さんの講演を聴いた私にとって、絶対に許せるものではありませんでした!。障害を持っている方から、教わること。障害を持っている方と共に協力していく術。沢山あるのです。まもなく、リオデジャネイロでパラリンピックが開催されます。障害を持っている方から、教わること、障害を持っている方と共に協力していく術にも思いを寄せて、オリンピックと同じくらいの熱い気持ちで観戦して欲しいと思います。

(おかわり)

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