数日前の寒さから一転し、春を感じさせる今日の日に、卒業生の皆さんに卒業証書を授与いたしました。ご卒業おめでとうございます。保護者の皆様にも、心からお祝い申し上げます。また、本日多数のご来賓の皆様のご臨席を得て卒業式が挙行できますことは、私ども関係者にとっても、大きな喜びでございます。改めて感謝申し上げたいと思います。
さて、皆さんと出会ってはや6年が経ちました。皆さんが毎日を一生懸命過ごしたことによって、日々の価値はどれほど高まったかと思います。その結果としてこうして卒業証書を渡すことができました。今お渡しした卒業証書は、皆さんが日々を一生懸命過ごしてきたことの証です。
そしてまたそれは、皆さんを支えて下さった保護者の方々のご愛情、登下校の安全を見守ってくださった地域の方々のご援助、先生方の熱心なご指導の賜です。感謝をもって卒業いたしましょう。
ところで、私からは皆さんに本当に尊敬をこめて感謝をしたいことがあります。皆さん、それは何だと思いますか? もちろん一人一人が学業で成果も挙げましたし、さまざまな校外活動で目覚ましい活躍もしました。それらに対する努力も当然称えられることですが、ここで感謝したいことは、個々人ではなく、皆さん全員に向けてのことです。
それは、この6年間、朝礼で主の祈りを唱え聖歌を歌い、終礼でアヴェ・マリアの祈りをまじめに唱えてくれたことです。朝夕に祈りを唱え続けるというのは、カトリックの信者でもなかなかできないことかもしれません。それを6年間続けたのです。毎日祈りを続けたということは、皆さんにとっては無意識すぎて当たり前すぎることかもしれませんが、でもそのことの意味の大きさは計り知れません。
晃華学園で過ごしてきた日々を出発点にして、これから皆さんは一人一人別々の人生が展開していくことになります。その折々に、この祈りが思い出されることがきっとあります。辛いことにあった時、親しい人が病気になった時、自然災害のような大きな困難に遭遇した時、また反対に心が喜びにあふれ感謝でいっぱいのとき、祈りは計り知れない力を与えてくれるはずです。
神様はこの世界を創ってよしとされました。それは存在するものは善いものであるということです。世界が苦難に満ちているものとして感じられたとしても、その存在を肯定することです。それは恵みに備える自由な意志なのです。これから少しずつ社会に出ていくにつれて、さまざまな困難に出会います。でもその困難な状況を否定せず耐えます。自由な意志で耐えるのです。そうするとその日、その出来事のあった日は、さまざまな驚くほど豊かな知恵と環境に満ちた神の恵みの日となるのです。祈りは恵みに備える自由な意志を育てます。
そのことは皆さんを強くし、生涯支えるでしよう。皆さんは晃華学園で祈りを学んだのです。
保護者の皆様にも、今日卒業するお子様はこの校舎に足を踏み入れ、祈りで一日を始め、祈りで一日を終えた6年間を過ごしてきたのだ、ということを思っていただきたく存じます。それをイメージしますと、皆様の心の中に圧倒的な感情が湧きあがるのではないでしょうか。
ところで,これからの社会がどうなっていくのかと考えますと、何か予想がつかないな、という思いを将来に対して感じます。私のような者が思い出す昔、昭和時代とは、よほど変わってしまいました。これからの変化は、さらに計り知れないものになるでしょう。そういう変化の激しい時代に、どうやって生きていけばよいでしょうか。
皆さんは、レッドオーシャン、ブルーオーシャンという言い方があるのを知っていますか? これは海を借りて、人間がどのように生きていくのかを表した言葉です。青い海というのは、自分の才能を伸ばして、活き活きと生活していることです。イメージできると思います。レッドオーシャンというのは血の海を連想させ、恐ろしいですが、これは皆同じようなことをして、狭く争い合っている生き方を表しています。発想と欲望が皆同じようなら、そこに皆群がるのですから、わずかなことをめぐる争いが起きるのは当然です。これがいいと言っている、あれがだめだと言っているという噂が取り巻く周りの状況に巻き込まれると、そういう状況に陥ります。どんどん社会は変わっていきますが、右往左往しないで、自分とはいかなるものであるか、これからしっかり自分探しをして下さい。
そうして主体的に学ぶことができれば、自我が身体の隅々まで浸透してのびのびし、日々夢中になることができます。しっかりした考えを構築して将来を切り開いてほしいと望んでいます。
最後に、パウロのコリントの信徒への手紙から、「神のために力を合わせて働く」という箇所を、卒業する皆さんへの言葉として贈ろうと思います。晃華学園の教職員がこの卒業の日までどういう思いで皆さんと関わってきたかを物語る、聖書の言葉です。
「アポロとは何者か、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えたものです。わたしは植え、アポロが水を注いだ。しかし、成長させて下さったのは神です。ですから、大切なのは植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させて下さる神です。植える者と水を注ぐ者とはひとつですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。」
本当に、ご卒業おめでとうございます。皆さんの人生の原点が晃華学園であり、いつまでも心の支えであることを願って、私からの告辞といたします。