2013年度

晃華学園高等学校 第49回卒業証書授与式 学校長告辞(3月16日)

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投稿日2014/3/19

二度の大雪に耐えた樹々の新芽も膨らみを増し、陽射しは日々に強まって自然界は春の訪れを告げています。この早春のよき日に、第49回卒業証書授与式をご来賓と保護者のご臨席のもと、こうして行うことが出来ますことを心から感謝し、卒業生と皆さんをここまでお育てくださった保護者の皆様にご卒業のお喜びを申し上げます。

愈々卒業の日を迎え、6年間通い慣れた晃華学園への道を今朝、皆さんはどんな思いで来られたのでしょうか。中学高校という人生において最も多感で変化に富んだ6年間を過ごしたこの学び舎と晃華学園の自然は今朝、どんな風に皆さんを迎えてくれたでしょうか。

真新しい制服に身を包み、幾分緊張の面持ちで臨んだ中学の入学式からもう6年が経ち、こうして今、晃華学園での学業を終えて巣立つ日がやって来ました。長かったようでもあり、短かったようでもある6年間をあらためて振り返って見ますと、世界災害史上最大規模の、先進国には例がない東日本大震災と福島第一原発の深刻な事故をはじめ、色々なことがありました。一方、晃華学園中高には創立50周年を迎えるという大きな喜びもありました。皆さん一人ひとりの身の上にもきっと嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったことなど、様々なことがあったと思いますが、皆さんはいつも明るく前向きに学校生活を送り、お互いに励ましあいながら、中高6か年の全課程を完成させました。

今、手にした卒業証書の意味するもの、それは皆さんが明日から一人ひとりの可能性を、もっと広い、もっと大きな新しい世界の中で豊かに広げていくことが出来る、その出発点に立ったということです。そして晃華学園という家族が、この学園を巣立っていく皆さんによって、社会の中にもっと広く、もっと深く根を張って、さらに大きく成長していくということでもあります。

木の実は十分に熟したその時、自分の繋がっていた木から離れていきます。成熟しなければ離れることは出来ません。この意味で皆さんは、晃華生としての成熟を果たして今、学園という木の幹、木の枝から離れていく時を迎えています。後ろを振り返らず、新しい未知の世界にしっかりとした足取りで、自分に与えられている使命を果たすために勇気と希望をもって出て行く、その皆さんの後姿を、私たちは静かに見守りたいと思います。そしてその後姿を見つめながら、晃華学園は、卒業生の皆さんがそれぞれ「置かれた場」で、それぞれの人生において、学園が皆さんに与えようとしたもの、晃華の心と精神を生きていってくださることを心から期待しています。

この6年間、皆さんがしばしば耳にした聖書の言葉に「あなた方は地の塩である。世の光である」(マタイ5:13,13)というキリストの言葉があります。皆さんがこれから歩まれる人生は様々で一人ひとり違います。登り坂の時もあれば下り坂もあり、「まさか、こんなことが私に……」という「まさかの坂」もあるでしょう。また皆さんがこれから出ていこうとしている世の中、人間の社会というのも、決して容易なところではありません。キリストが「あなたがたは地の塩、世の光」という場合の「地」とか「世」というのは、「腐敗を防止する塩」或いは「明るく闇を照らす光」と、対立する意味合いで捉えられております。つまり現実の人間社会、この世というのはある意味で、腐敗しているし汚い、社会の人間関係が利益で結びついていて時にはだましあう、お金や欲望や男女関係などでけがれ腐っている、ということを前提にしています。そうした世の中、社会の中にあって「あなた方は地の塩であり、世の光である」というのです。

どうして世の中にこんな苦しみや不幸があるのか、どうしてこんな不条理、不正があるのかと嘆き、つぶやきたくなる時、「人生の重荷や苦悩を共に背負い、共に歩んでくださる神」がおられることを忘れないでください。キリストが「私の父、そしてあなた方の父」と呼んだ「父である神」は、キリストが十字架上で死去されるのを阻止しようとはなさらず、キリストの「エリ、エリ、レマ、サバクタニ!(私の神、私の神、どうして私をお見捨てになったのか!)」との叫びにも沈黙を守られましたが、最期まで父を信頼してご自分を委ねたキリストを神は死者の中から復活させ、人類の救い主とされたのです。キリストの十字架上の死と復活は、人生に苦しみと死は避けられないにしても、苦しみが苦しみで、死が死で終わるものではないこと、それらが輝かしい復活の命、神の命に繋がっていることを啓示しています。たとえ、どんなに深い苦しみや悲しみに覆われても、そこに希望に繋がる道があることを啓示しているのです。この復活の信仰から希望と勇気と力を汲み取り、人生の荒波を乗り越えてください。

また「死者を生かし、存在しない者を存在させる父なる神」が私たちを限りなく愛し、私たちの救いを望んでおられることを信じ、この愛に支えられて、色々な意味で闇の中にいる人々に明るさを、冷たい人間関係の世の中に光の温かさをもたらす人であっていただきたいと思います。

今、私たちは21世紀の10年代半ばを生きていますが、交通通信手段の革命的な進歩発達によって、人類は経済その他の活動を国境を越えて拡大させ、相互の結びつきを一層、深めています。他方、企業の経済活動がグローバル化し、人、お金、物が国境を越えて大量に行き交う時代ゆえに、多国間、二国間の利害の調整がとても難しくなり、排他的なナショナリズムが高まるという現象も現れてきています。また人類の造り上げてきた科学技術文明、物質文明は地球規模の環境破壊やエネルギー、資源、人口問題などによって危機的状況を迎えており、多くの人が苦しんでいます。東日本大震災から3年経ちましたが、復興は遅々として進まず、福島の原発事故は未だ終息の見通しも立っていません。それでも経済成長を続けるためには原発の再稼動が必要という方向で日本社会は動こうとしていますが、それで本当によいのでしょうか。経済のグローバル化に伴う格差の拡大、貧富の拡がりも放置しておくことは出来ないでしょう。こうして見ると、私たちの前に問題、課題は山積していますが、先行き不安を抱える者にはとても心強い、「恐れるな、私はあなたと共にいる」との力強い復活の主の言葉が響きます。

卒業生の皆さん、一人一人が、それぞれの置かれた場にあって、向き合うべき問題や課題の解決のために自分に出来ることを誠実に行い、「いつもあなたと共にいる」と約束してくださる神に支えられて「地の塩、世の光」であっていただきたいと思います。人生という荒波に漕ぎ出していく皆さん一人ひとりのこれからの航海を神が祝福してくださいますように。そして旅路の聖母が、時に荒波に翻弄され呑み込まれそうな皆さんの小船を、安全な港、人生の目的地に無事導いてくださいますように祈っております。

 

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