2013年度

信じる者には何でもできる(2月21日の宗教朝礼より)

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投稿日2014/2/28

 みなさん、おはようございます。
 今、マス・メディアにおける話題の一つは、ロシアで行われているソチ冬季オリンピックかと思います。
今大会において、日本人選手として最初にメダルを獲得したのが、スノーボード・ハーフパイプの平野歩夢(ひらのあゆむ)選手と平岡卓(ひらおかたく)選手でした。銀メダルの平野選手は中学3年生、銅メダルの平岡選手は高校3年生、みなさんとほぼ同じ年代となり、親近感を抱いたり、触発を受けたりした人もいたかと思います。?

 この二人の選手とも、試合後のインタビューにおいて、両親への「感謝」の気持ちを述べ表していました。平野選手のお父さんは、練習環境を整えようと、自宅近くに屋内のスケート場をつくり、平岡選手のお父さんは、毎週末、自宅から4〜5時間かけて車を運転し、スキー場に連れて行ったりしていました。このような事情があるにせよ、この年齢で両親に対して素直に「感謝」の気持ちを表せるのはすごいことだと感じました。みなさんはいかがでしょうか?日本語には「感謝」の気持ちを表す「ありがとう」という言葉もあります。日頃から、周囲の人に対して感謝の気持ちを表すことの大切さを忘れないでいてください。?

 もう一つ、オリンピックに関連して、この2選手以上に、私と年齢も1歳しか違わず、41歳で出場したスキージャンプの葛西紀明(かさいのりあき)選手の活躍に心ひかれました。年齢から見ると、みなさんにとっては、お父さんやお母さんに近い選手になるかも知れません。
 葛西選手がオリンピックに初めて出場したのは、1992年、アルベールビル大会でした。94年のリレハンメル大会において、団体で銀メダルを獲得した後は、98年の長野、02年のソルトレークシティ、06年のトリノ、10年のバンクーバーと出場しましたが、メダルには届きませんでした。そして、このソチで7度目のオリンピックとなりました。
 一方で、この20数年の間に、葛西選手を取り巻く環境はいろいろと変化がありました。98年の長野冬季オリンピックの際には、直前にケガをして、個人戦には出場したものの、金メダルを獲得した団体戦のメンバーには入ることができませんでした。所属先も現在の会社で、3つ目となります。また、家族においては、妹が93年に再生不良性貧血と診断され、現在も病と闘っている状況であり、母親は長野オリンピックの前年に放火に巻き込まれて亡くなられています。
 こうして迎えた7度目のオリンピックにおいて、スキージャンプ・ラージヒルにおいて見事、銀メダルを獲得しました。インタビューでは、「両親、姉、妹、応援してくれた人たちに、いつかメダルで恩返ししたかった」と感謝の気持ちを表しています。

 しかし、私が印象に残ったのは、画面の向こうから「努力は裏切らない」と叫んだ言葉でした。説得力を強く感じ、胸にくるものがありました。みなさんは「努力は裏切らない」と思ったことがありますか?
 努力とは、目標を掲げ、それを実現するために、向かっていくことを意味します。「努力は裏切らない」という言葉は、目標が達成でき、その目標も高いものであったからこそ発せられたかと思います。また、この努力の過程の中で、不可欠なことは「自分を信じる」ということです。「自分を信じる」ことができなければ努力は続かないはずです。

 「信じる」という行為は、人間にとって本質的なものではないでしょうか。イエスは、「霊に取りつかれた子どもの父親が『できるのなら、わたしどもを憐れんでお助けください』と言うと、『「できれば」と言うか。信じる者には何でもできる。』」(マルコによる福音書9:22−23)と言っています。「自分を信じる」こととは異なるかもしれませんが、「信じる」ことの大切さは伝わるはずです。

 最後に、葛西選手は「いつまで続けるのか?」という質問に対して、「50歳になっても体力、技術は向上すると思っている。ここまできたら最後まで行くところまで行きたい」と答えています。みなさん、「自分を信じて、努力を続けていくこと」に終わりはあるのでしょうか、考えてみてください。

(paddy )

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