冬から春へと季節を分ける春分の日も過ぎて、本格的な春が、もうすぐそこまで来ています。
希望と喜びの象徴である春の明るい陽射しのもと、本日、晃華学園中学校3ヶ年の課程を終えて卒業される皆さん、ご卒業おめでとうございます。保護者の皆様にも、お子様のご卒業を心からお喜び申しあげます。心も体も発育の著しい中学の3年間、色々なご心配やご苦労も多かったことでしょうが、子どもたちは様々な困難や壁を乗り越えて、それぞれ立派に成長いたしました。この成長の姿を皆様と共に喜びたいと思います。
さて卒業生の皆さんは、小学校6年間と本校での3年間、様々な学習と体験を重ね、心身ともに大きく成長して無事に義務教育を修了いたします。日常の学校生活の中で義務教育という言葉はあまり出てきませんし、特に意識することもありません。でも、何らかの事情で義務教育を受けることが出来なかった人にとっては、義務教育は人生を左右するほどの重要な意味を持っています。
長野は教育に熱心な県として知られていますが、長野県松本市の松本市立旭町中学校桐分校は、全国で唯一の刑務所の中にある公立中学校で、生徒は教育を十分に受けられなかった受刑者たちです。昭和28年当時、松本少年刑務所内には青少年受刑者が255名いましたが、そのうち200名が読み書きもままならない義務教育未修了者でした。その背景に太平洋戦争と敗戦による社会の混乱や貧困があったのですが、この人々の救済策として提起されたのが、刑務所内に中学校を作ることでした。受刑者が義務教育修了の資格と社会生活に必要な資質を備えることが出来れば、彼らの更正につながるとの考えで、世界でも例のない教育制度として、昭和30年に刑務所内に前述の公立中学校が設立されました。以来、この中学校で学び卒業していった生徒は703名(昨年度まで)になります。
この学校では3年間の中学課程(14科目)を1年間で教えますので、夏休みも冬休みもありません。毎日、午前8時から午後4時30分まで60分授業が、びっしり7時間、続きます。消灯は10時ですが、自習のため1時間延長されます。この間、刑務所内での労働や刑の執行を猶予された生徒たちは、懸命に机に向かい、寸暇を惜しんで勉強します。
「今一番教育を必要としている人、今一番学びたがっている人、今最も学ばなければならない人、それは非行に走った青少年と犯罪を犯した人達だ。自分はそういう人を相手に教育をしたい。それを自分の生涯をかけた仕事にしたい」と考えた隅谷俊夫さんは、志願してこの学校に赴任し、以後、法務教官として35年間、この学校で教育を受ける機会に恵まれなかった受刑者を相手に教壇に立ち続けてきました。隅谷さんは、学びに飢えていた生徒達に「この教科書の匂いをしっかりかいでくれ、この教科書がボロボロになるまで勉強してくれ」と言って、教科書を渡し、また入学祝として一篇の詩を生徒たちに贈り、毎日、授業をはじめる前にこの詩を朗読することにしています。それは相田みつをさんの「命の根」という詩・・・
涙をこらえて悲しみに耐える時
愚痴を言わずに苦しみに耐える時
言い訳をしないで黙って批判に耐える時
怒りを抑えてじっと屈辱に耐える時
あなたの目の色が深くなり
命の根が深くなる (相田みつを「命の根」)
隅谷さんが、この詩を選んだのは、桐分校でのハードな一年間の勉学に一番相応しい、また卒業後、社会に出てからも、どこかでこの詩を口ずさむ日が来るだろうと思ってのことですが、この詩についての解説は一切しません。ただ、この詩のような生涯を送ってくださいとだけ伝えます。
人生の軌道を修正し、まっとうな人生を送っていきたいと強く望んで、この学校に入学してきた受刑者の生徒達の中には、高齢者も外国籍の人も含まれていますが、「4月から毎日、7時間の勉強をしていく中で、一日一日少しずつ自分の知識が豊かになっていく、自分の心が学ぶことによって少しずつであるが豊かになっているなと感じるようになっていて、学問という今まで自分が知らなかった世界を知ることによって、学問に感動する、そしてその学問をしている自分に感動する、(だから授業が終わって各自の部屋に戻っても予習、復習を繰り返し、本当によく勉強します)そういう日々を送っていく中で彼らは本当に変わっていきます」と隅谷先生は言います。
入学認定会議で入学希望者全員と面接した校長は、彼らの表情が堅く、目付きも鋭く厳しかったのが、卒業時に再び会って、彼らの表情が穏やかな顔つき、目付きになっており、本当に変わったと驚くそうです。一年間の真剣な学びの成果は、学力だけでなく、人間性においても生徒たちを豊かに成長させたのです。
隅谷先生が卒業式前日の授業で、「命の根」の感想を聞いたところ、卒業生の口からは、次のような感想が語られました。
「はじめのうちはただ読んでいるだけだったが、一行一行が非常に重い」/「『目の色が深くなり、命の根が深くなる』というのは、自分の心が変わるということ、考えが変わるということなのだ・・・」/「桐分校で学ぶことの喜びを知った。自分が知らなかったことを知ることが一番楽しい。知る楽しさに変わるものはない(学ぶことの本質)」
卒業式で、愈々、校長から卒業証書が一人ひとりに渡される時がやって来る。その瞬間、彼らが背負ってきた、この世で一番の重荷=義務教育未修了者という事実とそこから生まれる屈折したコンプレックス―そのコンプレックスこそが、これまでの彼らの人生を悲惨なものにしてきた要因でもある―から解放されていくのがわかります。「仰げば尊し」の歌が、途中から涙で歌えなくなります。中学を卒業したいという、30,40,50年間の夢と悲願が叶ったという、言葉では言い表せない思いが溢れだすのです。
卒業後、17年経って桐分校を妻と一緒に訪ねてくれた一人の卒業生は、「桐分校がなかったら、先生に出会わなかったら、自分は人生の大切な事に気付かずに、あのままだったと思います。有難うございました」と隅谷先生に告げてくれました。
その言葉は教育者にとって何よりも大きな喜びだと思います。
さて、卒業生の皆さん、中学卒業証書の持つ意味を今一度、よく考え、これを大事にしてください。皆さんには、この先高校に進学し、更に上級の学校で学ぶ機会が用意されています。そのことの意味についてもしっかりと考え、恵まれた機会を無にせず、将来それを社会に還元していく重い責任があることを自覚して、次のステップに進んでいただきたいと思います。