新たな年を迎え、世の中はすでに日常の活動を始めていますが、改めて新年明けましておめでとうございます。
学校にとっては、まだ年度の途中ですが、年が改まったことでもあり、また気持ちを一新して、これからの一年、今日の一日、そして何よりも「今」というこの時を大切に、歩んでいきたいと思います。なぜなら、「今」をどう生きるかということが、次の「今」につながっていくからです。そして、よく考えてみますと、「今」を先立つ無数の「今」の積み重ねが、今のこの「私」をつくっているからです。だから「今」という時を大切に生きることが、大事なのだと思います。
詩人の坂村真民さんは、「いつかゴールに達するという歩き方ではだめだ、一歩一歩がゴールであり、一歩が一歩としての価値を持たなくてはならない。」と述べていますが、同じことを言っていると思います。
晃華学園中学校高等学校が創立されて50年という大事な節目を迎えていますが、先輩たちの歩んだ一日一日、無数の「今」の積み重ねが矢張り、今日の学園の土台になっています。この土台の上に、私たちの新しい歩みを積み重ねながら、次の50年に向かって前進していくのですが、どんな心構えで私たちは一日一日を、「今」という時を生きたらよいのでしょうか。
2千年前にパウロが、当時、迫害にさらされていたテサロニケの教会に宛てて書いた手紙の中に、次のような言葉があります。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなた方に望んでおられることです」(1テサロニケ5:16〜18)
その数年後にパウロは、テサロニケの教会と同様、危険と迫害にさらされていたフィリピの教会にも手紙を書いていますが、そこでも「主において喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」と、繰り返し信徒たちに「喜びなさい」と命じています。そう言うパウロ自身は、牢獄につながれ、死は避けられないという状況にあったのです。
つまり自分の活動、することなすことが全て思い通りにいっており、楽しみがいっぱいだから「いつも喜んでいなさい」と言うのではありません。困難と危険、明日はどうなるのかという不安で一杯、到底喜ぶことなど出来ない、八方塞のような状況にあっても「喜びなさい」、物事の見方を意識的に変えなさい、というのです。
人間的には喜びとは対極にあるといってよい苦しい状況にあって、なおパウロが「喜ぼうではないか」と人々に強く勧める理由は何なのでしょうか。自分には背負いきれそうにない困難や苦しみの中で、なお喜んでいられるためには、自分の力だけに頼らず、自分よりももっと大きな存在に目を上げ、祈りのうちに、その支えを確信することが必要ですが、まさにそれこそが「神の望み」であり、「人に神が期待しておられること」だとパウロは言います。
実際、神は人が「いつも喜び、絶えず祈る」ことができるように配慮してくださっています。「禍福はあざなえる縄の如し」「塞翁が馬」といった諺がありますが、どんなに悲惨な状況の中にも一縷の希望の光、幸いの種を見つけることはできますし、どんなに順風万帆と思える時でもひっくり返される脅威、想定外ということは常にあるからです。
東日本大震災から間もなく2年になります。2万人以上の方が亡くなり、生き残った人々も大変な苦しみを味わっておられる時、「頑張ろう」という言葉がスローガンのように叫ばれています。大勢の人が集まるイベント会場には、「頑張ろう日本!」と大書した横断幕をよく見かけます。一方。海外では「Pray for Japan」(日本のために祈ろう)の声が広がりました。
このことについて、小説家で精神科医の加賀乙彦さんは、「もちろん、災害の当事者である日本は、頑張ることも必要でしょう。頑張ろう!と気持ちを奮い立たせていかなければならないときもあるでしょう。けれども祈りの気持ちを忘れて、自分たちの、人間の力だけで頑張るんだということでは、今回の震災の復興はおぼつかない気がするのです。そもそも科学の力で頑張れば原発をコントロールできると思ったから、あのような状況になっているのではないでしょうか」「日本のように、地震や津波や大雨の危険が常にある国で原発を稼動させることがいかに危険な行為であったか、今度の原発の破綻によってはっきりしたと思います。にもかかわらず原発を推進しようという人はまだまだ多い。」「相変わらず傲慢不遜に自分たちの力を頼んでいるのではないか、心配です。人間が己の力だけで頑張るだけでは足りない、もっと大きな力を祈りによって引き出してもらう、そういう謙虚な気持ちが必要だと思います。」そう言っておられます。
世界も日本も今、大きな歴史的岐路に立っています。日本は過去の成功体験にとらわれず、元の形に戻ることだけを考えるのではなく、新しい方向に進んでいかなければならないのではないかと思いますが、皆さんはどう考えますか・・・?
さて、今日から3学期が始まりますが、3学期は皆さんにとって、一年間の学校生活の総まとめでもあり、卒業・進級の上で極めて大事な学期です。特に高校3年生にとっては、中高6年間の課程をすべて修了し、卒業するという大事な節目です。その前に卒業後の進路を決めるための大学入試という関門が待ち受けていますが、これまでやってきたことの集大成というつもりで、平常心とあきらめないぞという強い気持ちで受験に臨んでください。他の学年の生徒も、上級学年への進級のために、それぞれの学年で学んだことの総仕上げをする学期です。この一年間の学習を顧みて、不足を補い、完成に近い形として纏め上げる努力をしてください。そうすることで、次のステップに進むための準備が整います。
過ぎ去ったことをくよくよ気に病んでも、時間は元に戻りません。将来のことをあれこれ心配し不安に苛まれていては、気力も萎えてしまいます。それよりも、「どんなことがあっても、私はいつもあなたと共にいるよ!」と約束してくださっている神様を信頼し、自分の目の前にある「今」を全力で生きることこそが賢い生き方なのでしょう。そのことが、次の「今」につながっていきますし、「今日」は「明日」につながっていきます。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなた方に望んでおられることです」。この聖書の言葉をしっかり心に留めて、明るく前向きに、新しい年の始まりと重なる大事な3学期を始めましょう。